も く じ
  1. 不幸なときには
  2. 血だ
  3. 厳かなる受胎確認
  4. そしてナタリーは生まれた
  5. アカとクロ(ダニエル達の冬休み-前編-)
  6. 岡山正月事情(ダニエル達の冬休み-後編-)
  7. 東海道中栗毛犬(ダニエル達の冬休み-おまけ-)
  8. 動物言語論
  9. どっちが得?
  10. 午後のひととき(冠者たちの野望)
  11. 目方でド〜ン(古い…)


1.不幸なときには

あっちへ行ってほしいのだが...

 リビングのテーブルに向かってノートパソコンで仕事をしている俺の足元に2匹の犬が寝転がっていてトイレに行く時やコーヒーを入れに立ち上がる度に尻尾を踏みそうになったり顔を蹴飛ばしそうになったりする。確かにうちは広いとはいえないがお前らの居場所ぐらい他にもあるだろう、なにも3者寄り添ってこのクソ暑い夏を過ごさなくてもいいではないか、なあ、頼むからあっちへ行ってくれという気持ちを込めて「こらあっ、邪魔だ、おめえらあっち行け!」とちょいと巻き舌で怒鳴ってみるのだが2匹揃って被害者然とした消費者団体のような目で見返されると触らぬ神に祟り無し、黙って仕事に戻るのみである。うっかりぶつかった風を装って蹴飛ばしてやろうかとも思うが、動物保護団体に駆け込まれて罰金を払わされてはたまったものではない。逆にこいつらを環境団体に訴えてやろうか。俺の周囲直径1メートルの範囲を温暖化しているので罰金を払わせるのだ。しかしこいつらに払えるものといえば食べかけの犬用ガムぐらいのものでそんなものをもらってもうれしくもないし、京都議定書が未だ批准されていない弱みもある。

 仕事に戻ったものの暑苦しい思いをさせられているという俺の被害者意識は収まらず、なんとかこの不幸感を緩和しなければ仕事が手につかない。そこで視点を変えてみることにした。10メートル上空から見れば確かに俺の周りは暑苦しいが、100メートル上空から見たとしよう。するともっと暑苦しいところが見えてくる。工業高校の相撲部室、商店街のバーゲンに群がるおばさんたち、込み合ったユニクロやスターバックスの店内も暑苦しそうだ。高度を一気に1万メートルまで上げてみると、なんだ、東京全体が暑苦しいではないか。ということは俺だけがそんなに不幸ではないのかもしれない。

 これで少し気が楽になった俺はさらに発想の転換を試みる。俺がこの犬たちに暑苦しい思いをさせてやっているのだという加害者意識を持つことによって被害者意識と相殺させる高度な心理学的テクニックを用いるのだ。この方法は満員電車に乗ったとき隣のおやじやおばさんに不快な思いをさせられたときにも応用できるだろう。

 最後のとどめに原始的だが一昔前に流行った究極の選択方式で仕上げよう。真夏に自宅で犬が2匹くっついていて暑苦しいのと真冬にオホーツク海で大ダコが2匹くっついていて寒々しいのとどっちがいいか?…まだタコだ。では太陽のプロミネンス活動極小期に冥王星でハレー彗星とヘール・ボップ彗星がくっついているのとどっちがいいか?犬犬犬、犬だ。これで俺の不幸感は完璧に取り除かれたばかりでなく微々たる幸福感さえ覚えるようになった。

 さて、仕事をしようと思ったらもう夜中だ、今日も仕事にならなかった、さあ寝るか。

2001年8月15日



2.血だ

 血だ。ここにも。朝起きると床の上にいくつかの血痕がある。俺はゆうべ銀座のクラブで演奏中に暴れだしたヤクザ者を石原裕次郎ばりに叩きのめしてその拍子にヤクザ者の持つナイフでからだを少々傷つけられた覚えはない。第一、銀座のクラブなんかで演奏していない。ということはゆうべ家に押し入ってきた強盗団が妻を人質に取った時、一瞬の隙を見て俺が強盗団をボコボコに一網打尽にした拍子に相手の持つ文化包丁でからだを少々傷つけられたのかと思ったがそんな傷もなければ記憶もない。第一、朝刊にそんな記事は載っていない。それに血痕の大きさは直径4ミリ程度だ。どうやら自分はどこも怪我をしていないことを確認してほっとしたのだが、それにしてもこの血痕は?

「なにを騒いでいるの?」妻だ。
「おいおまえ、どこも怪我はないか?」一応気遣っておくに越したことはない。あとあとの生活であのとき気遣ってやっただろうという恩義を売ることができる。いろいろ検討した結果どうやらナタリーが生理になったらしいという結論に達した。なんだ、そんなことか。そういえば3年前ダニエル(アクセントはエ)のときに同じ騒ぎをしたのを思い出した。ナタリーももう大人ということか。生まれたのがつい半年前のような気がするが…実際半年前だ、間違いない。「おい、半年なのにもう大人だぞ。」少し取り乱しそうになったがダニエルも生後7ヶ月で初潮を迎えたのを思い出して落ち着きを取り戻した。犬というものは気が早いらしい。
「ナタリー、彼氏はいるのか?」
「……」思春期特有のふてぶてしさで黙っている。
「彼氏ができたらちゃんと俺に紹介するんだぞ。」
「……」ふてぶてしい。
「ジャーキー食べるか?」
「わんわんわんわん!」
どこからともなく現れ、吠え喜ぶダニエルの横で「うわん!」とひとことナタリーも吠えた。

2001年8月27日



3.厳かなる受胎確認

このおなかに子犬が?

「いいえ、鰯なんか一匹も食べさせていません。」
去年の9月、ダニエル(アクセントはエ)のお腹が妙に大きくなったので連れて行った動物病院のロビーで獣医に問い詰められた俺は身に覚えがなかったのではっきりそう答えた。
「そこまでシラを切るなら仕方ありませんね、こちらへ。」
俺を連れて診察室に入った獣医は
「これを見てください。」
と蛍光灯に透過された2枚のレントゲン写真を示した。これが医者のいつもの手口だ。俺が胃カメラを飲んだときもそうだった。
「立派な潰瘍ですねえ、あと、十二指腸にもありますよ。」
それは俺に注射をして内蔵の感覚を奪い、毒を飲ませて喉を痺れさせて俺の知らないマウスピース(トランペットのでもサックスのでもない)を口に突っ込んでその穴から太い太い長い長いものを突っ込んで胃の中を掻き回した挙句の果てに胃の一部を切り取っていった女医が吐き出した勝ち誇ったような最後の勝利宣言であり、その言葉の裏に隠されたメッセージはこうだ。(これから3ヶ月間おとなしくまずい薬を飲んで3ヶ月後にもう一度あなたの足でこの胃カメラを飲むためにここに来なさい、私は感謝されるべきなのよ。痛いのはいやでしょう?)脅迫である。獣医はあのときの女医と同じ手口で俺にひどいことをしようと思っているに違いない。
「ここに鰯の骨が3匹分はっきりと写っているでしょう。」
周囲に気を配りながら獣医の指し示すレントゲン写真に目をやると確かに何か写っている。確かに鰯だ。いや、そんな筈はない、あの日3匹買った鰯は俺が2匹、妻が1匹食べたはずだ。俺はレントゲン写真を穴のあくほど見つめ、穴があいた頃に重大なことを発見した。
「ちょっと待ってください、いわしの頭の骨はこんなに丸くありませんよ。」
「え?何?ううむ…」
しばらく写真とダニエルを交互に見比べながら考え込んでいた獣医は急ぎ足で奥の書庫に行き、2冊の分厚い本を持ってきた。タイトルにはそれぞれ『どうぶつずかん』、『おさかなずかん』と書いてある。そういう姿勢にならないと書物を読めないらしい獣医は床に腹這いになって両肘を立てた上に顎をのせて膝を曲げた両足をばたばたさせながら2冊の本を読みくらべている。同じ習癖を持つ俺も獣医の反対側から同じ姿勢で本を覗き込む。逆さから見てもいわしの頭蓋骨の形状は三角形であることが良くわかり、やれやれ、これで俺の濡れ衣も晴れたと胸を撫で下ろそうとした瞬間、
「犬ですね、ダニエルのお腹に入っているのは。」
「犬?犬だって?そんなことはない、ダニエルは確かに食いしん坊でバカでうんこたれでしっこたれの珍獣だが、犬を食べるような子に育てた覚えはありません。」
「それはほんとうですか?」
「それはほんとうです。」
再びしばらく考え込んでいた獣医は
「!そうか、この犬は妊娠しているに違いない。この犬は最近交尾をしましたか?」
「い、いえ、私にはそんな趣味は…」
「あなたではなくて雄犬とです。」
「ああ、それならこの間、近所のカムイという犬と交尾をさせました。」
突然、獣医の目がつりあがり鼻息が荒くなった。
「ぬぅあにぃ?あほんだらあ、それを早く言わんかこのぼけかすあほまぬけ、獣医のわしに恥をかかせやがって!」
獣医は怒って俺の右目をえぐりとった。
「なにもそこまでしなくてもいいじゃないですか!」
俺はお返しに獣医の耳を両方とも齧り取った。
「ああっ、二つも取ったな!」
獣医はお返しのお返しに俺のあばら骨を3本折ってその一本を取り出すや否や残った左眼に突き刺した。
「なんてことをするんですか、何も見えなくなったじゃないですか!」
お返しのお返しのお返しに俺は獣医の歯を全部抜き取り、抜き取った歯を獣医のリンパ節にことごとく突き刺してやった。
「ふぁうあ、はうぁふぉふひう!」
歯がないのでなにを言っているのかわからないが獣医は俺の手足の指20本を全部ポキポキと折って、その上俺の膝の皿を両足とも裏返した。さらに俺の股間に対して攻撃を行おうとしているのを察知したので
「そこは反則ですよ。」
と相手の動きを牽制しておいてすかさず獣医の口に手を突っ込んで脾臓をつかんだときに看護婦が診察室に入ってきた。
「先生、そろそろ往診の時間です。」

俺と獣医はそれぞれ腕時計を見た。
「ほうひんのひはんへふ。」
獣医が看護婦の言葉を繰り返したので俺も
「私もダニエルの散歩の時間なので帰ります。」
と言って動物病院をあとにした。ダニエルを抱いて帰り道、こいつも子供を産むのかと考えながらもちょっと歩きにくかった。

2001年10月5日



4.そしてナタリーは生まれた

生後2日目。上がクロ(ナタリー)、下がアカ(ドリー)で、
実際は写真以上に色の違いがはっきりしている。
クロが犬らしい形をしているのに対してアカは胎児体型だ。

 ナタリーが1歳の誕生日を迎えた。彼女が生まれたのは1年前の11月11日、妻は犬たちの誕生日をよく覚えている。ついででいいから俺の誕生日も覚えてほしいものだ。ナタリー達が生まれる前夜、ダニエル(アクセントはエ)の様子に変化が現れた。室内で地面を掘るような素振りをしては「フンッ」と溜息をつき、出産用に用意した巣にうずくまって「ハッ、ハッ、ハッ」と苦しそうに息をする。予定日は12日か13日と言われていたが今夜産むかもしれないと思って様子を観察することにした。しかし朝の5時ごろ、ダニエルの様子が落ち着いてすやすや眠りだしたのでこちらも少し仮眠を取ろうと2時間ほど眠ったのがよくなかった。7時、ハッと起きて様子を見に行くと生まれた子犬を一生懸命舐めているダニエルの姿があった。子犬は動かなかった。結局死産だったのか生まれた後に何らかの理由で死んだのか知る由もないが、あとの2匹の出産はなんとしても無事に行わなければならない。それがわかっているのだろう、ダニエルは死んだ仔を取り上げても文句も言わない。2時間後、ダニエルがうんちをする時の格好をした。うんちをするのかと思ったらうんちの代わりに黒い変な袋が出てきた。その袋をダニエルは器用に食い破り、袋の中から出てきた子犬のへその緒を食いちぎる。動かない子犬の鼻の穴(らしきところ)をダニエルがペロペロ舐めるとブクブクブクッと小さな気泡とともに呼吸が始まった。手と足が動き出す。動いている子犬が俺の目の前にあった。ドリーの誕生である。へそからの出血が多い。用意していた縫い糸で縛ろうとするがダニエルがへその緒を食いすぎたためうまく縛れない。こんなときまで食いしん坊だ。それでも何とか縛り終えて親元に返すと早速おっぱいを探し始める。まず食いしん坊は遺伝しているということか。

 30分ほどが経過し、再びダニエルがうんちの代わりに袋を取り出した。袋の中からは犬が出てきた。それがナタリー誕生のときである。この子犬は最初から動いている。出血もすぐに止まった。あまりおっぱいを欲しがらない様子を見て、この仔には食いしん坊が遺伝しなかったのかと思ったが、それが大きな誤解であったことに気付いたのはずっと後になってからだ。なにはともあれ、2匹は無事誕生した。子犬の名前は我が家に残す仔をナタリー、俺の実家に行く仔をドリーと決めていたが、2匹のどちらがナタリーでどちらがドリーであるかはもちろん最初から決めていたわけではない。たぶん出来の悪いほうを手放せないだろうと思って俺の親が引き取りにくるまでゆっくり観察して決めることにしたのだ。それまでは生まれたときの毛色の違いに従ってのちのナタリーを“クロ”、ドリーを“アカ”と呼ぶことになる。

 ダニエルの子犬のうち死んでしまった一匹をせめて手厚く葬ってやろうと動物霊園のある深大寺という寺に連れて行く道すがら、秋晴れの日差しが寝不足の目に眩しかった。

2001年12月20日



5.アカとクロ(ダニエル達の冬休み-前編-)

生後13日目、左がクロ(ナタリー)、右がアカ(ドリー)。
移動方法は“はいはい”か、転がり落ちるかどちらかだ。

 12月29日、妻と犬2匹を乗せた車を東名高速に乗り入れたのは、たまには人並に田舎で年を越してみようというほんの出来心からだった。サラリーマン的に言うと家庭サービスといったところか。ダニエル(アクセントはエ)3歳7ヶ月、ナタリー1歳1ヶ月、妻24歳10ヶ月を乗せて俺37歳7ヶ月は高速をひた走るのだが、この時点で妻に対しては鯖20匹ほど家庭サービスしたことになる。天候は良好、名古屋や京都などの大都市に突入するたびに悠長な渋滞に出くわすが時期が時期だけに仕方がない。目的地の岡山県倉敷市玉島(以下省略)にはドリー1歳1ヶ月が待ち受けているはずだ。

 ちょうど1年前、ドリーとナタリーはそれぞれアカとクロと呼ばれていた。当時は毎日体重を量って記録したものだが、生後27日、体重が1キログラムになった時点で記録は終了している。台所用計量器の限界だったのだ。それでもエクセルでグラフを作成してみると生後日数と体重が見事に1次関数であらわすことができるのがわかる。数式では“Y=a+30.6X”となる。Yは体重(グラム)、aは出生時体重(グラム、アカとクロはどちらも180)、Xは生後日数(出生日は0日とする)である。今後、“生後27日までのミニチュアダックスフント”と言うかわりに“a+30.6X”と言えばいいのであり、一応の成果があったとみていいだろう。2匹とも体重は1ヶ月でおよそ800グラム増えた。たった800グラムと思うかもしれないが、200グラムが1000グラムになったのだ。実に5倍である。52.4Kgが53.2Kgになったのとはわけが違う。むしろ55.7Kgが278.5Kgになったような実感だろう。

 生後2週間でクロの目が明いた。アカも左目は明けたのだが、その後数日たっても右目が閉じたままだ。よく見ると目やにで瞼がくっついている状態になっているようなので獣医に連れて行くと結膜炎を起こしているとのこと。目薬を処方されたがあまりの高さにこっちの目がとび出しそうになった。それから毎日3回、アカに目薬を差すことになる。このまま治らなければアカがナタリーになるところだったが、幸いアカの右目は日を追って回復し、1ヶ月ほどで完治した。これでクロをナタリーにできると俺と妻は胸を撫で下ろした。クロは生まれながらにして尻尾の先が曲がっていたのだ。多少の難はあるものの2匹はその後順調に育った。アカ=ドリーが岡山の実家にもらわれて行ったのがこの前の1月だから、今回ほぼ1年ぶりの再会ということになる。

 12時間のドライブの後、いい感じに疲れた我々をけたたましい犬の鳴き声が出迎える。出迎えというよりは警戒の声だ。帰省する旨は電話で両親に伝えてあるのでドリーにも伝わっているはずである。それなのにわんわん吠え立てるとはなんというふしだらなことか。マンション仕様に無駄吠えしないよう教育されたダニエルとナタリーは多少困惑気味にうろうろしている。不思議なことが平気で起こる我が実家では8畳の部屋と3畳のサンルーム、合わせて11畳のスペースがドリーの部屋になっていた。生まれてから他の犬を殆ど見たことがないドリーは突然自分の城に現れた2匹の闖入者を最大限に警戒して吠え続ける。母親と姉妹だとはわからないみたいだが、考えてみれば人間でもわからないだろう。しかしこちらも疲れているので、いつまでも犬の家庭問題に介入しているわけにもいかない。3匹の犬はひとまずドリーの部屋に入れておいて瀬戸内海の酒と肴だ。あとは犬同士、適当にうまくやってくれ。

 しばらくして犬の部屋が静かになったので弟嫁にこっそり様子を見に行ってもらったら、ダニエルとナタリーは8畳間、ドリーはサンルームに落ち着いていると言う。どうやら家庭内別居ということで話がついたらしい。(つづく)

2002年1月11日



6.岡山正月事情(ダニエル達の冬休み-後編-)

保乃佳。褒められていい気になっている。
(DVよりキャブチャー)

 実家には保乃佳(ほのか)という名の女の子がいる。2001年3月、弟夫婦の間に生まれた子供だ。命名の時、新種の米か?と冷やかしてやろうかと思ったが親しい仲にも礼儀、言わないでおいた。一生懸命考えた結論であろう。9ヵ月半、知能はまだ犬以下である。ドリー1歳1ヶ月にしてみれば新参者の出現であり、面白いはずがない。今まで自分が独占してきた家族の愛情を一度に失ったような気になる。新しく妹ができた女の子なら経験があるかもしれないが、ちょっと嫌がらせをしてみたくなる。林檎のような田舎っぽいほっぺを引っ掻いてやろうかしら?あたしは東京の生まれ、都会の女なのよ。それともふっとい足に噛み付いてやろうかしら?あたしの足はすらっと細くてうらやましいでしょ。でもあたしの足より長いのが気に食わないわ。そんなたくらみを察知されたのか、それまで家の中を自由に歩き回っていたドリーは行動範囲を制限されることになる。彼女に与えられた11畳の部屋はその代価であった。自由を奪われたことに対してドリーは散歩ストライキで抗議した。家の敷地から一歩でも外に出ると四肢を踏ん張って動かなくなる。これには困り果てた家の人達、なんとかなだめすかして散歩に連れ出そうとするが、ドリーの母親譲りの頑固さのほうが一枚上手だ。結局、今でも彼女の散歩というものは目的地まで抱かれて行き、帰りは帰巣本能に任せて大急ぎで帰ってくるというものらしい。

 それにしても子供というものはよく洟を垂れる。ぶしゅぶしゅ鼻を鳴らしているのでどうなるかと観察していると、絵に描いたような鼻ちょうちんが出現しては消える。と思うとその次にはずるっと鼻水とともに白っぽい鼻くそが出てくる。きたないなと思ってティッシュで拭いてやろうとすると途端に泣き顔になり、びえ〜んと泣き出す。どういうわけか保乃佳はティッシュで鼻を拭かれることを極端に嫌うのだ。保乃佳が泣かないように鼻を拭く。俺は今回の帰省の目標をこの一点に絞ることにした。原因はだいたい想像できる。ティッシュで何度も鼻を拭いていると皮膚が擦れて痛くなってくるのだ。普通に考えれば5箱組で売っている普及品ではなくて少し大きめの箱の高級ティッシュを使えば解決すると思うのだが、それでは金の力で解決したことになり後味が悪い。そこで俺も同じティッシュで鼻を拭いていることを示すことによって庶民として強く生きることを教えてやることにした。自分の鼻と保乃佳の鼻を「ひらちゃんのおはなぷう、ほのちゃんもぷう、ひらちゃんのおはなぷう、ほのちゃんもぷう、…」と適当に節を付けて唄いながら交互に拭いてみたのだが、これが思いのほかうまくいった。保乃佳はけらけらと笑いながら鼻を拭かせてくれた。しかし目標を達成できた気のゆるみからか、迂闊にも俺は大晦日の夜に熱を出して寝込んでしまう。全身の関節が痛い。悪寒がする。コウハクが始まる時間には早くも布団にもぐりこんだ。友人のドラマー杉野君がガクトのバックで出演しているはずだ。ガクトってなんだろう?ガクトシュツジン?ガクなら知っているが。コウハク、そういえば俺も昔出演したことがある。アノゲンバハニギヤカナモノダ…だいぶ眠った。途中目を覚ますと、遠くの寺で除夜の鐘が鳴り、目の前の港で漁船が汽笛を鳴らすのが聞こえる。田舎の年明けか…と思ったあと、俺の意識は再び失われた。それでも早めにダウンしてしっかり汗をかいて眠ったのがよかったのだろう、翌朝起きると熱も下がりなんとか正月気分を味わえるまでに回復している。家族が一人たりないと思ったら小学校の教員をしている弟がこっそり家を抜け出してパチンコに行っていた。

 帰省したときは2軒ほど親戚の家に土産を持って立ち寄ることにしている。1軒目は母の実家で俺の叔父(母の弟)の家だ。ちょっと前に亡くなった祖母の仏壇に線香をあげたのちに居間に通される。高校3年生の長男を筆頭に中学1年まで男ばかりの3兄弟の巨体が小さなコタツを取り巻いている光景が真冬ながらに暑苦しい。叔父はこっそり抜け出してパチンコに行っていた。2軒目は叔母(母の妹)の家、銀行に勤める長男はこっそり家を抜け出してパチンコに行っている。そのせいか機嫌の悪い嫁が出迎えてくれたが、後で聞くとツワリのせいもあったようだ。俺の実家や親戚を見たかぎり、ほんとうに日本の出生率は低下しているのかどうか疑問である。

ナタリーとドリー毛の色は同じになっていた。
(DVよりキャブチャー)

 犬の話に戻ろう。今回の最大の関心事はドリーが俺たち夫婦やダニエル(アクセントはエ)、ナタリーを覚えているかということであった。帰省の前に妻とその話題になると、「生後二ヶ月足らずで別れたのだから覚えているわけないだろう」と言いつつも「おまえはもしや一年前に別れたわが娘では?」「てやんでぇ!おらにはおっ母ぁなんていらねえ。こうして上と下の瞼を閉じりゃあ…」という感動のシーンをどこかで期待していた。さらに俺に対しても「お久しゅうございます。お達者でお過ごしですか?やはり産みの親より育ての親と申します。一月あまりもの間育てていただいたご恩はわたくしの一生の中でも忘れられない思い出となっております。それではごゆるりとお過ごしください。」という至って簡単な挨拶ぐらいはあって当然だと思っていた。ところが例のお出迎えである。「てめえこん畜生、なにわんこらわんこら騒いでやがる、いってえ誰が離乳食をスプーンで1日3回食わせてやったと思ってんだ、毎日目薬を差してやったのはどこの誰でい!!」と喉元まで出かかったが畜生に畜生と言ってもつんぼにつんぼと言うのと同じこと、埒が明かないのでやめた。パニック状態になっているドリー、縄張りを侵された獣としては仕方あるまい。しかし一晩を共に過ごした後にはだいぶ様子が変わってきた。夜、暗くなってからサンルームの外から覗くと犬たちに気付かれないように中の様子を観察することができる。田代まさしのような感じで覗き込んでいると、ダニエルは牢名主のごとくキャリングボックスに入り込んでいて、ドリーがナタリーに対してマウント行為を行っている様子が伺える。マウント行為とは背後から性行動のようなことをすることによって両者の優劣を確認するもので、チンパンジーなどの類人猿も行う。人間もこの制度を採用すると不毛な争い事の大半は無くなるだろう。格闘技や国会などに採り入れてみてはどうだろうか。俺の目の前の栗毛色の家族の場合はダニエル、ドリー、ナタリーの順で順位が決定したようだ。結局、母娘の名乗りがおこなわれたかどうかに関してはムツゴロウさんかドリトル先生でない限り知る由もないが、めったに他の犬と遊ばないナタリーと一度も他の犬と遊んだことがないドリーが幼い時と同じように遊んでいるのを見ると多少は血の繋がりを感じているのかもしれない。いずれにせよ3匹の間で何らかの社会が新たに形成されつつあることは確認できた。家族とは常にお互いの関係を再構築しながら生きていくものなのか。「ねえドリー、覚えてる?」妻が尋ねても犬の耳に念仏、どこからかオモチャをくわえてきては「わん、」(遊べ)と要求するだけだ。この様子だとおそらく尋問では口を割るまい、調べるとしたら脳波測定器に尿検査、嘘発見器に自白強要剤などが必要なのであきらめたほうがいいみたいだ。ドリーにとっては俺たち夫婦よりも昨日今日ご飯をくれる人になついたほうが利口というものだろう、俺だったらそうする。ドリーはよその子になったんだな。手を離れて1年も経っているのに妙に新鮮な実感があった。ナタリーはうちの子、ドリーはよその子、それで幸せならいいではないか。

 こうしてダニエル達の冬休みは終わりを迎え、一家二人と二匹無事東京へ帰っていったのであればめでたしめでたしなのだが…(つづく)

2002年2月16日



7.東海道中栗毛犬(ダニエル達の冬休み-おまけ-)

 当初二話で完結する予定だったが長くなってしまったので「おまけ」として付け加えることにする。

 1月2日、東京に帰る日になった。この日は道路公団がユーターンラッシュのピーク日という予想を出していたが、妻の休日の都合でどうしてもこの日に帰らなければならない。道路公団の言うことだ、どうせ嘘に決まってる。本当だとしてもラッシュの裏をかいて夜6時ごろに出発して夜中走れば渋滞の影響はさほど受けないはずだ。翌朝4時ごろには用賀インターから環八にすべりこめるはずだ。家に着いたらビールでもかぽっと飲んで5時ごろにはベッドにもぐりこむはずだった。“あいつ”さえいなければ…

 台風並みに発達した低気圧が日本列島を縦断するという。灰色の雪雲が大量の雪を降らせるという。気象庁の言うことだ、どうせ嘘に違いない。本当だとしても低気圧のスピードはせいぜい時速30キロ程度、自転車並だ。適当なところで追い越していけばいい。予定通り軽く食事をとって夜6時ごろ山陽自動車道に乗り込むと車はスイスイ流れている。思ったとおりだ。あっという間に姫路を過ぎたが、さすがに三木JCTあたりから流れが悪くなったのはしかたがない。神戸淡路鳴門自動車道や中国自動車道から四国人や中国人が合流してくるのだ。それに加えて大阪から商人芸人、さらに京都から公家僧侶舞妓新撰組などが乗り込んできてなかなか思うように進まなくなる。それでも京都を過ぎると合流ラッシュも落ち着いたので、情報収集と腹ごしらえを兼ねて一度休憩をとることにした。多賀SAに立ち寄り道路情報を確認した後で長旅に備えてまずいラーメンを妻と二人で啜る。まずいラーメンの中では旨い方だった。雪は降っているが道路が閉鎖されているという情報はない。おそらく名古屋あたりで低気圧を追い越せるはずだ。しかし一宮から北へ分岐する東海北陸自動車道が閉鎖されているのが気にかかる。早めに中部地方を抜けなければならない。

 再び出発して間もない関が原、突如として車の流れが止まる。雪は静かに降り続くが、“わだち”の部分はアスファルトが露出していて、気温も2度ほどあるのでチェーンの装着はまだ必要ないだろう。それにしても動かない。少し進んだと思ったら5分間ぐらいは停まったままになる。音もなく降り続ける雪がフロントガラスの下のほうに溜ってワイパーがうまく作動しない。仕方なく車から降りて高倉健のような感じで車の雪かきをしながらまわりを見回すとあちらこちらで高倉健や田中邦衛が雪かきをしている。俺は思わず「北の国から」のテーマを「♪ああ〜あああああ〜」(さだまさし風)と歌ってみるが、そんなのんきなことをしている場合ではないらしい。とはいっても他になすすべも無いので同じことを数回繰り返すうちに少しは前に進んだようだ。やがて「東名名神高速道路一ノ宮〜三ケ日間通行止め」という掲示板が目に飛び込んでくる。それは名古屋市内を一般道で走り抜けなければいけないことを意味し、同時に“あいつ”を追い越すことが不可能であることを意味する。長い長い旅が今始まったのだ。

 一宮インターに差し掛かるとまるで出口のほうが本線であるかのようにすべての車が高速を降りていく。東京に続いているはずの高速道路は数本のパイロンによって絶望的に鎖されている。けがれを知らぬ真っ白い道にはもはや“わだち”もなく、ほんの数十メートル先で灰色の空に飲み込まれるように消えてしまう。ゲートで迂回路を記した紙切れと料金割引のための振替証を渡されたとき、皮肉のつもりで東京はどっちかと尋ねてみた。初老の係員は二股に分かれた道の一方を指差して「東京はむこう。」と事も無げに答えた。百戦錬磨である。はがきの大きさにも満たない迂回地図には名古屋市内経由で高速に戻る道筋がきわめて簡単に示されている。よくもこんなに簡単に書けるものだ。俺が帰りたい町は東京のはずだが、今向かっているのはなぜか名古屋市街、市街まで辿り着いても地図に載っている県庁などのランドマークはすべてホワイトハウスと化していてよくわからない。東京と岡山を往復する旅に名古屋の市街地図など持っているはずもなく、コンビニで買おうかとも思ったが店先に並ぶ車を見て売り切れを確信した。関東地方のナンバーの車を見つけては後を追跡する作戦にしたが、相手も迷っているケースも多い。赤信号を見落としかけてブレーキを踏むと車はスリップして止まらない。「信号赤よ!」と妻、「うるせえ、車に訊いてくれ」交差点を横切る車など一台もいなかった。

疲れ果てて眠るダニエルとナタリー(やっぱり家が一番だ)

 国道1号線に這入った。「これをまっすぐ行けば東京に帰れるの?」妻が眠そうな声で言う。運転しないほうは気楽なものである。国道も遅々として進まない。2時、3時、4時…まさか正月三が日のうちに今年初の休肝日を迎えるとは思ってもみなかった。降り続く雪があちこちに乗り捨てられた遭難車を容赦なく埋めていく。ラジオのニュースは通行止め区間が浜松まで延長されたことを告げる。俺にできるのは目の前に空間ができればそこに車を進めることだけだ。実はそれ以後のことはあまり記憶が無い。おそらくいやなことは無意識のうちに忘れようとする都合のいい脳の機能が働いたのだと思うが、気が付いたら浜名湖の競艇場へ向かう渋滞に並んでいた。午前8時、いや、9時だったか。もはや苦痛を通り越して笑いが込み上げてきて、このままもう2〜3日運転できそうな気がする。

 結局浜松インターから東名高速に復帰できたのは正午を過ぎたころ、初春の東海道は雲ひとつなく晴れ上がっていた。自然界というものはひどい天気の後ほどいい天気になるようにできている。睡魔と闘いつつ家に着いたのが午後4時、予定より12時間の遅れ、実に22時間運転し続けだ。パリダカに出られる。得たものといえば道路公団も気象庁もたまには本当のことを言うらしいと実感したことぐらいか。後日、気の知れた友人達に年賀状の返信として次のようなメールを送った。え?犬の話がないって?だからこれはおまけだってば。

珍文漢文謹賀新年
我妻犬犬年末年始自動車帰省故郷岡山
帰路名古屋四十一年来大雪高速通行止
泣泣走行一般道遭難車多数放置立往生
涙涙牛歩走行結局二十二時間妻大睡眠
徹夜運転不眠疲労肩凝腰痛右足腱鞘炎
今年不運完全消費的気分正月東京一番
(中国人解読不可能)

2002年3月11日