「コンラッド、今日は君のすることは何もないんだ。誕生日なんだからね。家のことは我々だけでやる。それから、今晩――ぼくに君の食事の用意をさせてくれたら、大いに光栄だと思うんだけど……」
        
「料理人」 ハリー・クレッシング(一之瀬直二訳) ハヤカワ文庫

 平和な田舎町コブにひとりの男がやってくる。痩せて背の高いその男は、町の有力者、ヒル家に雇われた新しい料理人、コンラッドだった。コブの町は大地主であるヒル家とヴェイル家によって二分され、はるか昔に残された遺言により、丘の上に立つプロミネンス城に住むものは誰もいない。数年前、その遺言――ヒル家とヴェイル家の婚姻は実現しそうになっていた。が、ヴェイル家のひとり娘、ダフネが異常なまでに太りだしたために、その話は流れてしまっていた。
 馬並みの食欲で、味覚は豚並み、というヒル家に雇われたコンラッドだが、彼はその初日から、家族の者を魅了する。さらに、素晴らしい料理を食べ続けるうちに、太ったものは痩せ、痩せた者は太りはじめたのだ。そして家族のものは夢見はじめる。今度こそ、ダフネ・ヴェイルとハロルド・ヒルの婚姻が成り立つのでは? また一方で仕事一本だったヒル氏は朝食後も昼食まで家にぐずぐずと居座るようになり、夢見がちな息子のハロルドは料理そのものに興味を持ち始めるという変化も生じていた。そしてヒル夫人を中心に、家族を熱狂させる食器のセットが届いたときには、ヒル家の人々は、他人のために、そしてコンラッドのために給仕することを楽しみはじめていた――。
 いつのまにか主客が転倒してしまう、奇妙にブラックな物語。己の生み出す料理によって、自由自在にひとを操るコンラッドのさまは、なんともいえず不気味で、読み出したらとまらないおもしろさ。第六部とエピローグのあたりなど、ものすごいとしかいいようのないオチである。ある意味では「香水」にも似ているのか。料理の道を究めた男の物語。



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