「シャーロック・ホームズ気取りはやめろ。まず私に話してみるんだ」
「シャーロック? 誰です、それは?」
              
  「落下する緑 : 永見緋太郎の事件簿」 田中啓文 東京創元社

 「私」、唐島英治は、自分のバンドのテナーサックス奏者、永見緋太郎とは歳の差はあるものの馬があい、あちこちへと連れまわすことを楽しみにしていた。というのも、緋太郎はよくいえば練習熱心、悪くいえば音楽馬鹿で、音楽以外のことをまるで知らない非常識ぶりが目に余ることもあるからだ。その日も、R美術館で開催されている宮堀重吉の抽象画展を観にきたのだが、そこである作品が上下さかさまにされているという事件が発覚する。怒り狂う画家と、恐縮する館長の間の中、ただひとり動じずにのほほんと口を挟んだ緋太郎が明らかにした真実とは。
 連作短編集。
 主人公がジャズバンドのメンバーということで、ジャズに絡んだミステリとなる。クラリネット・キングの称号とともに受け継がれてきたクラリネットの謎。消えた天才トランペット奏者。新発見された有名作家の遺稿の真贋。いけすかないジャズ評論家の栄光と失墜。物語のすべてにジャズがある。わたしのようにジャズを知らない人より、ジャズ好きの人にはきっとたまらない作品集になっていることと思われる。
 音楽しかしらない青年が、思いもかけない冴えを見せて謎解きをする、というのは「笑酔亭梅寿謎解噺」につながるものがある。何かひとつに打ち込んでいる人間は強い、ということだろうか。それとも、世の中には非常識なものの見方をしたほうが、かえってわかりやすいものもある、ということなのだろうか……
 とにかくハズレなしの短編集である。自信をもってオススメする一冊。



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