"We've been very proud of what you 've accomplished," said Father.
"As proud as we've ever been of Ender," Mother added.
               Shadow of the Hegemon    Orson Scott Card

 以下、このホームページの主旨からはまったくそれるが、わからないひとにはまったくわからない話をする(一応わかるようには書いたつもりだが、読み直したらやっぱりだめだったような気が)。
「Ender's Game」(エンダーのゲーム)は、シリーズとしてすでに数冊出ているが、「エンダーのゲーム」を第一冊目としたシリーズはふた通りある。「エンダーのゲーム」はオースン・スコット・カードの思惑以上にヤングアダルト世代にもうける作品だった。が、その続編「Speaker for the Dead(死者の代弁者)」はヤングアダルトにはまったくといっていいほどうけない。そこで彼は少年たちを主人公に据えることにして「エンダーのゲーム」とはパラレルな小説「Ender's Shadow(エンダーズ・シャドウ)」を書き、これまたヤングアダルトに歓迎される。だから、いうなれば「死者の代弁者系」エンダーシリーズと、「シャドウ系」エンダーシリーズがある、と思ってもらっていい。ヤングアダルトとして、シャドウ系エンダーだけを読んでも通じるし、実際にそうしている人も多い。この小説は、そのシャドウ系三冊目。
 題を見た段階で代弁者系エンダーシリーズを読んでいる方にはおわかりのように、「ヘゲモン」はエンダーの兄ピーターのこと。それではこれはピーターの話か、といえば……実はそうではない。「エンダーズ・シャドウ」ではエンダーの傍につねに存在し、エンダーの「影」的存在であったビーンという少年が主人公であったのだが、「Shadow of the Hegemon」はビーンのその後なのだ。
 誰よりも身体が小さく、けれど頭脳の冴だけはいちばんのビーン。しかし、彼のあまりにも優秀すぎる頭脳には理由があった。この巻の中でビーンはその理由を知り、自分の未来、自分の限界までをも知る。そして、まるで死を願うかのように争いの中に身を投じていく。周囲が畏れ、いぶかしむほどに。
 一方でこの話はペトラの物語でもある。エンダーに戦闘の仕方を最初に教え、けれど最後の最後、エンダーの指揮する戦いの中で神経の糸が切れてしまった悔いをこころに抱えている年上の少女。バガーという異星人との戦いが終わった後、優秀すぎるほど優秀な戦士として育てられた子どもたちは、各国間の戦争に利用される的となる。そのために誘拐された何人もの元指揮官の中に含まれていたペトラを救うための作戦を立てる中で、ビーンはエンダーの兄ピーターに会いに行くことになる。これが、つねにエンダーの傍らで、その影ともなりながら決してエンダーになりきれなかったビーンの、同じような立場のピーターとの出会いとなる。
 それでは、のちにヘゲモンとなるピーターは、この物語の中でどのように描かれているのか。慈悲深い妹、優秀で有名な弟。自らも並以上の才能を持ちながら、つねに弟と比べられて鬱屈しているピーター、弟妹からは残忍で人でなしだと思われている兄。彼は、この世界を救うためにはきみがヘゲモン(統一者、皇帝、といったような存在)になるしかない、といわれても、すぐには頷かないのだ。タイミングもある。どうやって自分が傑出した存在だと両親に打ち明ければいいのか。彼はごくふつうの学生を装い、まったく誰にも知られずに、ネット上でだけ権力をもっているのだから。――そう、信じていたのだから。冒頭にあげた台詞を選ぶのには、実は躊躇があった。ネタバレになるかな、とも思ったから。しかし、やはりこのシーンは感動的だったので書いてしまった。
 どうせ何も知りはしないのだ、とこころの中で馬鹿にすることさえあった両親が、実はなにもかもを知り認めてくれていたことがわかったとき……ピーターのこころにこみ上げてきたものはなんだったのか。こういうシーンはやはりカードだな、と思う。
 しかし、ラストのビーンとペトラの会話には「うわ、まじ?」と叫びたくなるのは必定。この驚きを、語り合いたいものである……読んでください。



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