も く じ
  1. 雨のち晴れダニエルがうちに来た
  2. 睡眠の平等に関する抗告
  3. 注射は…
  4. 珍獣陳情
  5. 犬集う,人集う
  6. 勝った!
  7. アフターサービス
  8. 決戦
  9. アクセントは何故?
  10. 法則は歩く
  11. 無用の長物
  12. ハンスト
  13. ○×▲☆□※×▼
  14. ダニエルのバカンス(前編)
  15. ダニエルのバカンス(後編)
  16. 話の腰が折れて痛い…
  17. 環境問題とセキュリティ


1.雨のち晴れダニエルがうちに来た

 自分で迎えに行っておいてこう言うのも何だが、来てしまった、犬が。道中、助手席のダンボールの中でクウーンクウーンとか、プゥエーとか鳴き始める、まあ子犬だからクウーンクウーンとか、プゥエーとか鳴くのは仕方ないかと思い、「よしよし」とか「ダニエール」とか話しかけているとおとなしくなり、やがて眠り始めた。しめしめ、ここで走行距離を稼ぐぞと関越を黙々と走る。30分も走るとまたクウーンと始まる。宥めて指を舐めさせ、おとなしくなったところで運転に集中してると、アゥワブ、パウイャーー、クゥウェーーーンンだ。まあ子犬だからアゥワブ、パウイャーー、クゥウェーーーンンと鳴くのは仕方ないかと思い、何とかまた眠らせようと子守り歌を歌うことにし、さて、ちゃんと歌詞を覚えている子守り歌があったかといろいろ考える。本当はモーツァルトの子守り歌にしたかったのだが、いや、もっと本当は歌詞などどうでもよかったのだが、結局「五木の子守り歌」の1番を5回ほど歌ってやった。で、ダニエル(アクセントはエ)は子守り歌など関係なく彼女の生命のリズムに基づき残りの道中を寝て過ごしてくれた。

 家に着き、サークルに入れてやると、しばらくはおどおどしたり、わさわさしたり、ぺくんぺくんしたりしてたが、クウーンと鳴き始め、次にワンと鳴いた。その次にはワンワンワンワン、ワンと鳴きやがる。まあ、子犬だから、うぅん………

 食欲がいまいちか。食事をやると計ったように半分残す。つつましい性格なのか。さて今、彼女は熟睡中。仰向けの姿勢で。

1998年7月10日



2.睡眠の平等に関する抗告

 ダニエル(アクセントはエ)が朝6時に起こしてくれた。まったく大きなお世話だ。人を起こしておいて朝飯をつくらせ、例によって半分だけ食ってうんちして“ぴいたん”で遊んでぐっすり眠り込まれた日には、この早朝を私達家族はどう過ごせばよいのだ?

 幸いにも妻が味噌汁付きの豪華な朝食をつくってくれたので二人でゆっくり食べる。妻は寝不足解消の天才で、「ちょっと…」と言い残してリビングにゴロン、スヤスヤ、午前10時に私は一人すっかり取り残されてしまうが、めげずに少々パソコン仕事。昼を過ぎた。妻とダニエルは爆睡中、俺はこれからリハーサルに行くのか?行くんだよな…

1998年7月11日



3.注射は…

 今日も3時からリハがあるというのに、ダニエル(アクセントはエ)を動物病院に連れて行かなければならない。わくちんというものを打つそうだ。“打つ”のか“撃つ”のか“討つ”のかわからないが、多分注射を打つのだろう、お気の毒なことだ。俺は注射なんか全然恐くないが、この小動物は注射を打たれるとも知らず、俺の愛車シャリオグランディス父ちゃんカッコイイで束の間のドライブを楽しむ。

 友人で隣人で面食いの麻里ちゃんに紹介された動物病院で待ち受けていたのは若い二人の獣医、ダニエルの体重を量って体温を計って犬に関する的確な助言を与えてくれる。「では、ワクチンを打ちましょう。」サッカーの中田に似たほうの獣医が注射の準備、俺は気の毒なダニエルに 「いい子にしてるんだよ。」などと声をかける。しかし…

 彼女から獣医の手元に視線を移した瞬間、俺ははっとした。注射器も、中の薬品の量も色も人間にする注射とまったく同じだ。犬用ならワンちゃんマークとかが付いてるはずだ。ある疑惑が俺の頭の中を渦巻いた。
(この獣医はダニエルに注射を打つと見せかけて、ほんとは俺に打つのではないか?)
「じゃあ、頭のほうを押さえててください。」
(やっぱりだ。俺の両手をふさいでおいて、そのスキに俺に注射を打つんだ。)
(いや、しかしここは動物病院だ。まさかそんなことは…)
いずれにしてもこちらの警戒心を悟られてはマズい。もし左手に来たら右にかわして、右手に来たら左にかわす。その後が問題だ。診察室の入り口は開いているが、受付にサッカーの川口に似たほうの獣医が待機している。(そうだ、ダニエルを人質(犬質)にしよう。獣医なら犬を人質に取られては手出しできないだろう。)大方の作戦が決まった俺は獣医の言う通りにダニエルの頭部を押さえる。注射を持つ獣医の手が伸びてくる。俺の手との距離が10センチ、5センチ、3センチ、右に来るか、左に来るか、キャヒーンという声と共に注射針はダニエルの首筋に刺さる、薬品が注ぎ込まれる。注射が終わると、ダニエルは急にブルーになり、座ったまま置物のようになってしまった。そうか、ワクチンは“鬱”なのか。

 今回は俺の犬質作戦を悟ったのか、獣医は俺に注射を打つのをあきらめた。だが、1ヶ月後に2回目のワクチンを打ちに来いという。今度こそ、巧妙な手口で俺に注射を打とうとするに違いない。それまでに俺はさらに強力な作戦を立てなければならない。

 別に注射が恐いわけではないが。

1998年7月14日



4.珍獣陳情

 珍獣にも言い分はある。彼女が言うにはこうだ。

 仕事から疲れて帰宅して何はともあれ冷たいビールをゴクごくゴクごくっっと流し込み、たばこを一服吸ってほっと一息つきたい俺の気持ちなどどうでもよく、ダニエル(アクセントはエ)をだっこしてよしよしいい子だ、寂しかったろうと顔をぺろぺろ舐めさせ“はみがきロープ”で綱引きをして、“ぴいたん”を転がして遊んでやって、ごろりと仰向けのお腹をなでてくれということらしい。いや、こんなに長いセリフを言うわけではなく、写真のように立ち上がりキャン、キャンと鳴きながらも時々クウーン、パウイャーーと絶妙に折り込んで陳情する。陳情してるつもりらしい。

 冗談じゃない。ここは俺の家だ、おまえは言ってみれば居候じゃないか、おまえの食事は外国製の高級ペットフードを4種類も混ぜて食ってるのに、俺の今日の昼飯は“ねこまんま”だった、おまえのカーペットを洗濯してやっているのは誰なんだ!

 おっといけない、つい感情的になってしまった。珍獣相手に、俺としたことが。相手は立ち上がって陳情しているうちに垂直に立ちすぎてそのまま棒倒しのように後ろにパタンと倒れてしまう憐れな女である。

 珍獣は陳情するが、女の子なのでちんちんは無い。悪しからず。

1998年7月15日



5.犬集う、人集う

 近所に安くて旨いと評判の寿司屋がある。昨夜、我が家に泊まった友人で有名企業の女性課長だが面食いではない睦ちゃんを連れ、妻と三人で早めの夕食、ダニエル(アクセントはエ)はもちろん、お留守番だ。この店はまぐろ寿司の中とろがお勧め、他のメニューもハズレなしで、内容に比較して会計時の安さには毎回驚く。

 食後、まだ明るいので夕涼みでもと、環八沿いの蘆花公園に車を進める。いるのだ。愛犬を連れた愛犬家達が、ちょうど時間帯も良いのだろう、いろいろな人間がいろいろな犬を連れ、散歩したり、ボール投げをしたりしている。俺の観察では、人間がボールを投げ、犬がそれを捕ってくるという行為を繰り返していて、その逆のケースは見かけなかった。

 公園内の小高い丘の上に何匹かの犬がいるのを見つけ、上がってみる。何人かの人間もいる。丘に上がると、さっそく一匹のポメラニアンが挨拶に来た。人間は誰も挨拶に来ない。ポメラニアンは俺達三人のそれぞれと軽く会釈を交わし、そそくさと犬の社会へ戻って行く。コリー、テリア、パグ、ラブラドール、よくわからない犬、それぞれの順位付けに基づいた立場で遊んでいるところへ、ダニエルと同じミニチュアダックス登場、俺と妻の関心は当然そちらへ。

 ミニチュアダックスはいちばん…落ち着きが無いように見える。飼い主が投げたボールをコリーに横取りされた時には、取り返すか、コリーの飼い主に損害賠償を求めるか、他の犬のボールを横取りするか、どうするかと見ていると、飼い主の両足の間に入って泣き寝入り。ラブラドールに吠え掛かったと思うと、2メートル手前でピタッと止まる。おい、それまでかよ、頑張れダックス。

 一方、人間の社会。飼い主達の所に30代半ばと思われる男がやってきて何やら尋ねている。俺達以外で唯一犬を連れていないその人間はこう尋ねる。昨夜、柴犬の老犬を散歩させていたところ、首輪が抜けてしまい行方不明になった、年も年だし心配している、見かけなかったか。飼い主達は誰もその犬を知らなかったが親切に、警察に届けたかなどとアドバイスを与える。きっとその犬のほうも、こういう飼い主を見かけなかったかと、他の犬に尋ねているに違いない。俺達三人は彼らの再会を心から祈った。睦ちゃんを高円寺まで送り届け、ダニエルの待つ自宅へ向かう。途中、先ほどの寿司屋の前を通りがかると、20人程の行列が出来ていた。

 榎交差点の栄寿司に行くには、午後5時までがお勧めだ。

1998年7月20日



6.勝った!

 ボニーピンクのツアー前半3日間の行程を終え、つまり3日ぶりに帰宅した。ツアー中、ダニエル(アクセントはエ)に昼ご飯を食べさせてくれた友人で隣人で面食いの麻里ちゃんには大感謝だ。ダニエルは俺を見るとだっこしろと言い、だっこすると何だか嬉しそうに俺の顔をぺろぺろぴろぴろ舐め続ける。俺は顔がぬっちょらべっちょらになってあまり嬉しくないが、ダニエルは犬だから仕方が無い。俺が犬ならもう少し嬉しいと思うのだろう。

 昨日、金沢の近江町市場で仕入れ、クロネコヤマトというクールな人に送り届けてもらった岩牡蠣(いわがき)と赤イカが到着している。折しも葉山でのバカンスを終えた弟一家が栃木県の自宅にに帰る途中我が家に立ち寄り、なかなか賑やかな夕食である。今日ばかりは高級ドッグフードに勝ったような気がした。

1998年7月25日










7.…

ダニエルのうんこたれ!しっこたれ!!
ばかかばちんどんや

1998年7月28日

8.アフターサービス

 ツアー中、名古屋で購入した携帯情報端末の充電器の調子が悪い。ちゃんと充電できないのだ。AC接続状態では使用できるが、これは携帯情報端末なわけで、洗濯機や冷蔵庫ではない。今時アイロンでもコードレスだ。

 幸い近所にその製品を製造している電器メーカーの修理窓口があったので、持ち込み修理を依頼することにした。近くまで行き、電話で用賀4丁目の交差点からどう行けば良いか尋ねると、「桜新町の駅から4つめのかどを…」と電話番の女。いや、車で馬事公苑の方から来たので用賀4丁目の交差点からはどう行けばよいのかと再び尋ねると、「そんな大雑把に言われても…」と電話番の女。大雑把か?

 ちなみに購入直後から調子が悪かったので、名古屋のホテルから電話したときも、「修理の者にかわります」としばらく待たせた後、ぷつりと電話を切られてしまった。これは別の電話番の女。電話番にもなっていない。結局充電器の初期不良であることが判明、新品と交換してくれた。俺の経験上、この電器メーカーの製品はよく壊れる。“目の付け所”は悪くないのだが…

 さてこの犬、やたら噛み付くわ、部屋の真ん中で小便たれるわ、わんわんきゃんきゃんうるさいわで、初期不良ということで交換してもらえないだろうか…だめか。

1998年8月7日

9.決戦

 気にはなっていた。ツアーから帰ってくると例の動物病院から1通の葉書が届いている。2〜3日は見て見ぬふりをしていたが、いつまでも放っておくわけにもいかない。「ダニエルちゃんは元気ですか?そろそろ2回目のワクチン接種の時期です。…」獣医達も改心してやっと犬にワクチンを打つ気になったか。妻と二人で朝食をとりながら何気なく葉書の表に目をやる。そのとき俺はまたしてもぎょっとした。宛名が、葉書の宛名が俺の名前になっている。その下に連名扱いでダニエルの名前がある。犬に注射を打つつもりなら直接ダニエル宛に送ってくるはずである。やつらはあきらめていないのだ。改心などしていない。この葉書は獣医達からの挑戦状だったのだ。俺と獣医達の確執については7月14日に克明に記してある。事情のわからない方はまずそちらを読んでいただきたい。

 朝食もそぞろにソファーに移り、さっそく戦略を巡らせる。朝に弱いダニエル(アクセントはエ)は居眠りをしている。妻は洗い物。相手は2人か。妻が掃除を始める。今日は日曜日なので妻は会社が休み.…そうか、これか!こちらも2人で行くのだ。2対2、それにこちらにはダニエルがいる。数の論理で俺達が優勢なことは自民党の総裁選が証明済みだ。日ごろ将棋で培った勝負勘が俺に勝利を確信させた。そして“数の論理作戦”を実行するには妻が家にいる日曜日、つまり今日しかない。「今日行くぞ。」さっそく妻を促し、午前の診療時間に間に合うように支度を始めた。午前中なら敵の動きも鈍いだろう。根拠はないがそう思った。

 
診察室に入り、ダニエルを診察台に載せる。妻は俺の左後方に控える形だ。敵方は、中田が診察を行い川口がゴールを固める、いつもの戦型だ。すべて作戦どおりに進んでいる。が、しかし、次の瞬間俺の自信は見事に打ち砕かれた。ワン!診察室の奥の部屋からだ。ワンワン、ワワン、2〜3匹はいるか。しまった、動物病院を甘く見た。こうなっては後の祭りだ。こんなことならせめて友人で隣人で面食いの麻里ちゃんも連れて来ればよかった。いや、麻里ちゃんは面食いだから敵方につくかもしれない。ワワワンワワワン、ワワワンワン。川口が用事を思い出したように奥の部屋へと向かう。タイミングが良すぎる。わざとらしくドアを開け、「いろいろ預かってるんですよ」やつらの戦力を見せつけているつもりだ。りすもいる。うさぎもいる。この様子だとライオンやベンガルトラもいるに違いない。北極熊やコビトカバやイボイノシシやマウンテンゴリラやチーターやピーターやあの恐ろしいタスマニアデビルもいるかもしれない。数の論理を逆手に取られた。すべて読まれていたのだ。

 時すでに遅く中田の注射針がダニエルの頭を押さえる俺の手に近づいてくる。完敗だ。仮に今、とっさに注射をかわすことができても、獣医の号令ひとつで一斉に猛獣達が襲いかかってくるだろう。仮に猛獣達を妻に任せて逃げ出しても無傷のまま出口までたどり着くのは極めて困難だ。出口に戻って待ち構える川口にとって、手負いの俺を捕まえて注射を打つことはさして困難なことではない。妻を人質にしようか?通用しそうにない。注射針はすぐそこだ。だめだ、万事休す。ブスリ!…ダニエルの首筋に注射針が刺さった。

 帰りの車の中、俺は考えた。なぜあの時、中田は俺でなくダニエルに注射を打ったのか?俺を追いつめて余裕こいて楽しんでいるのか、とことん油断させておいて最後に特別大きくて、すごく痛いのを俺に打つつもりなのか。しかし、これだけは言える。俺と獣医達の戦いはまだまだ続くということだ。

 ダニエルは、また置物になっていた。

1998年8月9日

10.アクセントは何故?

 ダニエル(アクセントはエ)の名前の由来でも書こうと思ったが、そんなことを知っても何の得にもならないのでやめようと思ったが、何の得にもならないこの連載を読んでくれている方々のために書くことにする。
「本当はネタ切れなんだろう。」
誰だ!? 誰もいないか。そもそも俺達夫婦は漠然と柴犬が欲しかった。休日ごとにいろいろなペットショップを巡り、やっぱ柴だよね、ということでブリーダーのホームページを片っ端からサーフィン。探し当てたのがダニエルを購入した日本畜犬学院で、都内にも直売所があるがドライブを兼ねて埼玉県比企郡にある繁殖所まで行ってみた。

 連れて来られた2匹の柴犬の子、そのうちの1匹が笑っていてそれはもう可愛い!
「悪かったわね、可愛くなくて。」
誰だ!?誰もいないか。…しかし繁殖所のおじさん曰く、
「柴は室内飼育ではねぇ、ちょっと可哀相かな。ちょうどミニチュアダックスの赤ちゃんがいるんだけど、見てみるかい?」
…しばらくして連れて来られた生き物は犬というよりはもぐらだ。まあ、少し考え方を変えてフェレットを飼うつもりなら悪くないか、室内飼育にも向いているみたいだし。俺達夫婦の考えていることぐらいお見通しのおじさん、しばらくしてミニチュアダックスの母犬を連れて来る。やはりヨーロッパ系純血種の風格というか、毛並みといいキリッと引き締まった仕草といい、この親の仔ならと納得、さっそく購入契約へ。犬を迎えに来るのは20日後、少しは母犬の姿に近づいているだろう。

 不思議なことにこの山奥の町でやたら新鮮な魚が買える。なんでも新潟県の寺泊から毎日関越道経由で届けられるそうだ。立ち寄ってみるとなるほど日本海の新鮮な魚介類でいっぱい、まるで寺泊だ。喜び勇んでさまざまなものを買い込み、明日は友達を呼んでホームパーティー、めでたしめでたし。
「おい、おっさん、あたいの名前の由来を書くんじゃなかったの?」
そうだ、それを忘れてた。

 家に帰る途中の話題は当然、犬の名前に。俺には“しおたまご”とか、“うめやっこ”とか、“あかパジャマ”とか、“コーヒー牛乳”とか、“ゴールデンジャック”など、ラブリーな名前のアイデアがいっぱいあったが、妻は普通の人間のような名前を付けたがる。で、結局妻の提案したダニエル(アクセントはダ)が最有力候補に。しかしそのままではアメリカ人的馬鹿さ加減丸出しだ。そういえば昔見たヨーロッパのどこかの国の映画でダニエル(アクセントはエ)という女の子が出ていたぞ、ヨーロッパ的でいいじゃん、という日本人的馬鹿さ加減丸出しの命名となった次第である。

 ところでさっきから俺に話しかけてるのは誰なんだ?

1998年8月17日

11.法則は歩く

 二度のワクチン接種を終え、このごろダニエル(アクセントはエ)を散歩に連れ出すようになった。ダニエルを連れて歩いていると、道行く人々が「かわいいですね!」と声をかけてくれる。試しに俺一人で散歩をしてみると、誰も声をかけてくれない。これはまだ試していないが、ダニエルが一匹で歩いていても、どうせ犬に言葉は分からないのでやはり誰も声をかけないだろう。つまり、ダニエルの首にひもを掛けてその端を俺が持って散歩をして初めて人々に「かわいいですね!」と言わせしめるということだ。論理的にすべての事象を検証するとしたら、俺の首にひもを掛けてその端をダニエルが持って歩くというパターンも当然やってみなければならないが、これは人間に換算して5歳児というダニエルの知能からして、まだ無理だろう。いずれにせよ、「俺がダニエルを連れて歩いているとかわいい」という法則は大多数の人に認められつつある。

 さて、かわいい俺とダニエルは公園に行く。「犬を連れた人間は公園に行く」という法則は19世紀後半にパブロフによって証明されている。公園中央のなだらかな丘には草が生い茂っていて、他の犬達が走り回ったり、わんわん吠え合ったり、お尻の匂いを嗅ぎ合ったりしている。ところがダニエルは草をかじっては“もしゃもしゃ”しているばかりで、まるで馬だ。もっとも、馬好きの俺としてはいっそのこと馬に育ってくれればいいと思うのだが、19世紀半ばにダーウィンがその著書『進化論』の中で、「犬は馬に育たない」という法則をえらそうに論じている。確かこの本はその年の芥川賞候補になっていたはずだが、受賞したかどうかは定かでない。

 ニュートンの万有引力の法則に逆らうことなく丘の上に腰を下ろしていた俺の視野に、2頭の巨大なゴールデンレトリバーの姿が入った。小柄なおばさんに連れられた、いや、おばさんを連れた2頭は、どんどんダニエルに近寄ってくる。2頭は共にダニエルの30倍の体重はありそうだ。つまり、併せて60倍ということになる。心やさしい犬達はダニエルの顔やからだをべろんべろん舐めてくれたが、アインシュタインの相対性理論を適用すれば、人間が座布団の大きさの舌で体中を舐められ、中ジョッキ1杯のよだれを全身に塗り付けられたことになり、ちょっとぞっとする。

 それにしても犬の種類のなんと多いことか。大きいの、小さいの。赤、白、黒、まだら。馬型、牛型、きつね型、樽型。これに対して人間は皆、ほとんど同じだ。俺は19世紀半ばにリンカーン大統領が唱えた「犬に比べると人間はみんなだいたい同じだ」という法則を思い出した。

 さあ、そろそろ家に帰るとしよう。公園を振り返ると、ちょうど峠のようになっているところに人や犬が集まっている。堺屋太一経済企画庁長官は「峠には群像がいる」という法則を発見したっけ。

 いやいや、今日はいろいろ勉強をこそしけれ。これは係り結びの法則だ。

1998年8月21日

12.無用の長物

 ダニエル(アクセントはエ)はスタイルが悪い。俺などと比べると、これで同じ哺乳類かと思う。もちろん一方的にスタイルが悪いと決めつけては日本ダックスフント愛好者協会(そんなものがあるとしたら)からクレームが来るかもしれないので、論理的かつ数学的に筋道を立てて説明することにする。

 まず、足が短い。ダニエルの足は彼女の顔の長さよりも短いのだ。次に、胴が長い。4本足で立っていられるのが不思議なくらいの長さで、前足と後足の間に中足がもう一組あるのが物理学的にも建築学的にも常識である。顔、足、胴の長さの比率を数値化することはダニエルの名誉のために避けるが、この比率を他のどの哺乳動物にあてはめても、ずいぶんと滑稽な姿が容易に想像できる。だからダニエルはスタイルが悪い。

 もともとダックスフントという犬種は、穴熊の猟をする際にその穴にもぐり込んで穴熊を追い出すという用途のために開発されたものだ。今の世の中、穴熊の猟師など世界中に何人いるだろう。用途の無くなった狩猟犬が不格好であることだけを売り物に生き残っていけるのだろうか。レトリバーなどは盲導犬として世の中の役に立っているが、ダニエルを盲導犬にしてもめくらの人に踏み潰されるのがオチだ。では何か他に用途があるか?ある。

 先日、俺の住むマンションの下の階から漏水の苦情が来た。管理会社に調べてもらったところ、給湯設備からの水漏れが判明、即刻修理してもらって事なきを得たのだが、狭い床下の作業が非常に大変なのである。こういう時こそあの不格好なダックスフントの桧舞台、床下に潜り込んで漏水個所を発見したらわんわん、と吠えるように訓練しておけば一発で調査が終わる。作業のときもペンチ、わん、ドライバー、わん、のこぎり、わん、わんたん、わん、といろいろ持って来てくれると大助かりだ。これでダックスフントは穴熊犬という文字通り“無用の長物”から床下配管犬という有難い犬に生まれ変われる。そればかりではない。躍進著しいクローン技術を応用すれば床下配管人間、いわゆるダックス人も作り出せるはずだ。胴長短足の人の遺伝子ばかり掛け合わせて生まれた究極のダックス人はあらゆる工事現場などで役に立ち、…

 やばい、あぶない話になってしまった。また SITE THRILL に転載できない、とほほ…(死語だ…)

1998年8月25日

13.ハンスト

 俺も仕事を持つ身だ。忙しいときはダニエル(アクセントはエ)にあまり構ってやれない。構ってやらないと、ごはんを食べなくなる。アウンサン・スーチーさながらのハンストだ。チーズを刻んで混ぜてやると食べるところが、スーチー女史と違う。1回の食事中に10回は「ごはんたべなさい」と言わなければならない犬など見たことがない。ドッグフードがまずいのだろうか。俺はまだ試す勇気はないが、こっそり妻に食べさせてみればわかるかもしれない。現在与えているのはドライフードと、コンビーフのようなグロースという缶詰、犬用粉ミルク、それに粉末のカルシウム剤を混ぜたものだ。その他にほねっこ、レタス、キャベツ、大根、にがうりなども時々食べる。いったい何が一番好きなのか、これらを混ぜないで与えてみることにした。食器にレタスを敷いて缶詰を載せ、脇にドライフードを添えるという定食風の盛り付けだ。粉ミルクとカルシウムは水に溶かしてこれはスープ。犬は一番好きなものから先に食べるだろうから食べる順番を見ていれば好き嫌いがわかるはずだ。結果は、まずレタスを引っ張り出して食べ、次にスープ、缶詰、最後がドライフードの順番だった。なんとなく値段の高い順のような気もする。

 ちなみにダイニングの俺の席の下の床を熱心に舐めていることがよくあるが、なんでだろう?

1998年8月27日

14.○×▲☆□※×▼

 わたくしがこの家に来てはや55日の年月が経とうとしております。年月というにはあまりに浅うはございますが、こういうときには年月と申し上げたほうがそれらしいと思いましたもので、このように書かせていただきました。もっとも、わたくしども犬にとって55日というのは人間様の十数箇月にも匹敵する長さでありまして、あながち間違いではなかろうと思うております。本日はわたくしの日々の生活を皆様にお知らせしたく、慣れない筆を執った次第でございます。「わん」あ、ちょと吠えてしまいました、ごめんなさい。

 わたくしの一日でございますが、朝は奥方様が寝室から出ておいでになる7時半頃まではゆっくり寝かせていただいております。少し早く目が覚めた時などは“ぴいたん”で遊びながらお待ちしております。その後、ご主人様と奥方様が仕事で留守になさる日は一日中サークルの中で過ごしておりますが、ご主人様がお家で仕事をしてらっしやる時などは部屋の中を自由に走り回らせていただき、ご主人様が“ホットドッグ”を投げて遊んでくださることもございます。

 夕方には散歩に連れて行っていただきます。よく足を運ぶ公園では草の生えた丘の上をたくさんのお友達と走り回り、とても楽しいひとときを過ごすことができま「わん」あ、また吠えてしまいました、ごめんなさい。ご主人様は時折お友達の飼い主様とお話をしてらっしゃるようです。よその飼い主様はわたくしのご主人様に比べて犬の知識の豊富な方が多いようで、ある日わたくしの種類のことをカニンヘンですか?と尋ねられたご主人様は「それはまだ食べたことがありません」と答えておいでになりました。

 さて、お恥ずかしい話ではございますが、時折わたくしはお便所の場所を忘れてしまい、お部屋のあちらこちらに粗相をしてしまうことがございます。そのようなとき、ご主人様はたいそうご立腹になられ、ビールの空き缶に10円玉を5〜6枚入れて封をしたものをわたくしに投げつけるのでございます。直接当たらないよう配慮して下さっているようですが、それはもう恐ろしゅうございます。最近になってご主人様はそれを『てぽどん2号』と名付けられたようでございます。「わん」失礼、ここだけの話でございますが、ご主人様と奥方様の寝室のベッドの下に何度かおしっこをしたのは、まだ誰も気付いてらっしゃらないはずでございます。

 あ、ご主人様が書斎から出て来られる音です。本日はこのへんで失礼いたします。  かしこ。

1998年9月2日

15.ダニエルのバカンス(前編)

 あれ?なんか1日増えてないか?まあ、いいか。

 9月前半の数日間を故郷の倉敷で過ごした。お盆の混雑を避けてこの時期に夏休みを設定した妻の雇用者は賢明な人だ。俺の仕事はいわば自由業なので国民的行事とは無関係に休暇をとることができるのだが、わざわざ休暇をとるまでもなく1年でもっとも暇な時期(そうであることを願う)を迎えてしまった。暑気も納まり交通の混雑も無く、帰省には絶好のタイミングだ。俺が快適に旅行できるように世のサラリーマンの方々には是非とも盆正月の集団移動を続けていただきたいものである。

 さて、問題は移動方法だ。妻と二人なら新幹線の気楽な旅でいいのだが、あれがいる。ダニエル(アクセントはエ)の餌や生活用品一式を輸送するためにはどうしても車で移動しなければならない。片道750キロ、10時間はかかる道のりはダニエルにとって少々キツイかと思われたが、競馬の馬などは年中その程度の輸送はこなしている。タイキシャトルにいたっては先日フランスでG1レースを勝ってきて、この秋早くもアメリカのブリーダーズカップを目指しているのだ。過酷な輸送に耐えてこそ立派な競走馬になれるという信念のもと、車による移動に踏み切った。

 午前6時に出発、平日の東名高速は横浜付近で少し混んだのを除けば極めて快調に流れる。そして、着いた。もう着いたのかと思うかもしれないが道中のことをだらだら書いても仕方ないだろう、運転してただけだ。ダニエルには家にいる時とほぼ同じ環境と広いスペースを車内で与えていたのでかなりリラックスしていたようだ。これならブリーダーズカップも夢ではないかもしれない。

 結局10時間かかったものの、特に大阪を過ぎてから驚くほど早く感じた。というのは俺の経験ある倉敷への道は中国自動車道という今でも熊や狼や鹿やぬえやももんがや追い剥ぎが出る道を経由して、祟りの恐ろしい八墓村のあたりで高速を降りて幾つもの山越えをしてやっとたどり着くというものだった。ところが、いつの間にか山陽自動車道という夢のような高速道路(この道から瀬戸大橋を渡って四国という国に海外旅行までできるのだ!)が出来上がっていて倉敷インターの1つ先、玉島というところで降りて10分であっという間に着いてしまったのだ。なんでこんな便利な道を俺が住んでる時に作ってくれなかったのだろう。

 さて、俺の故郷を少し紹介しよう。倉敷市の最西端、地名を沙美(さみ)という。岡山県内で3本(それがだめなら500本)の指に数えられる一大リゾートビーチを擁する、知る人ぞ知る(知らない人は当然知らない)小さな漁村である。ここで採れる魚介類は小ぶりながらも瀬戸内海特有の旨味を持つ。実家のすぐ前に魚市場があるためその鮮度はお墨付き、買ってきた魚が生きたまま鍋に入れられることも珍しくない。魚の話になるとどうしても長くなってしまうが、地元でしか口にすることができない特に美味いものを2、3挙げて羨ましがらせておこう。「べいか」はホタルイカに似た小型のイカで体長5センチから大きいものでも12センチぐらい、地元では煮付けて食べることが多いが、子供の頃は地引き網で採ったものを生きたまま口にしたものである。口の中では食うか食われるかの戦いが繰り広げられ、うっかりしているとイカに舌をかまれて痛い思いをすることになる。秋にかけて卵を持ち、さらに旨味が増すのだが最近では数が減っている。「ぎぎ」はエボダイのような姿をした小型の白身魚、体長10センチもあれば大きい部類に入る。味は太刀魚に似ていて、太刀魚よりも繊細な味わいと甘みを持つ。こちらも煮付けが一番合うようだ。港で釣り糸を垂れていれば簡単に釣れる魚で、釣り上げられた悔しさと自分の軽率な行為に対する遺憾の意を込めてギギッ!と鳴いてしまうのが名前の由来だ。お断りしておくが、これらの呼び名は地元特有のものなので、「百科事典」や「魚介類大辞典」や「うみのおともだち」で調べても絶対に載っていない。どうしても知りたい人は現地の住人か漁師か俺の父親に尋ねてみるといいだろう。そういった意味で最も上級者向けとしては「おとしまじゃこ」と「ちみちこ」(アクセントは、ち)を挙げておく。その他にも「シャコ」、「渡り蟹」などきりがないが、そろそろ犬のことも書かねばなるまい。

 と、思ったが、なんだか長くなったので続きは次回ということにする。

1998年9月11日

16.ダニエルのバカンス(後編)

 岡山県倉敷市玉島黒崎沙美○○○○番地の○(俺はこの長たらしい住所のおかげで年賀状を書くのが嫌いになった)。

 トランペッターを目指す青年が12年前に捨てた故郷である。キマッタ!(ちょっとカッコよすぎたか。実際は1年に1回は帰省している)。それはいいとして、東京に出た俺と入れ替わりに実家で飼われ始めた犬がいる。実はこの犬が問題なのだ。ザ・スリルのドラマー田中元尚の飼育する野獣シッカン(ラブラドールレトリバー、オス)と並んでダニエル(アクセントはエ)にもっとも会わせたくない犬だったのだが、同時にいつかは出会わなければならない運命の薄こげ茶色の糸で結ばれた2頭、そして皮肉にもその出会いの時は早くも訪れてしまったのである。
「なんかきょうは大袈裟じゃのお。」
誰だ、その田舎臭い岡山弁は?誰もいないか…。 俺の母はビーグル系だと言うが、その特徴はほとんど見られないオスの雑種、名前をコロという。

 もちろん、ダニエルをコロに会わせたくないのには理由がある。俺とコロは前記のとおり一緒に生活したことはないが、たまに実家に帰る俺をコロは飼い主のように迎え入れ、「おすわり」、「おあずけ」などの命令もよく聞く(聞かない命令もある。「お粥を炊け」とか「8レースの4、5、12、14番をボックスで5000円ずつ買ってこい」など)。確かにコロは俺にとって一番身近な犬だった、ダニエルを飼うまでは。しかしダニエルを育てる立場となった今、俺は彼女をその名に恥じない洗練された都会的な女性に育て上げるという理想を抱いているのだ(たとえ彼女が今、俺の足元で仰向けでしかも大股開きで寝ているとしてもだ)。彼女とコロとの出会いはその理想を台無しにしかねない大きな危険をはらんでいる。コロはあまりに田舎臭いのである。

 実家に帰ったその日、コロがおやつをもらっている光景に出くわした。するめ1枚、「♪肴はあぶったーイカでいい〜♪」(by 八代亜紀)に歌われる、人間の大人の、しかも酒飲み専用の干物の“するめ”をまるごと1枚もらっているのだ。そればかりではない。あらゆる魚の頭や骨、鶏の骨、たこいか えび、ちみちこ、コーヒー、犬の育成マニュアルでは“与えてはいけないもの”とされているものが食事やおやつとしてどんどん与えられているのだ。挙げ句の果ては犬にとっては毒性を持つネギがしっかり入ったすき焼きの残り物まで平気で平らげる。まず、食べ物が田舎臭いのである。次にやたら吠える。番犬の役も兼ねているとはいえ、毎日来る郵便配達人に10年も吠え掛かっているのは白痴犬でない限り相当な田舎者的シャイさを持った犬である証拠だ。そして何よりも名前が田舎臭い。田舎で犬の名前といえばポチ、ジョン、コロ、タロ(ウ)、ハチ、女の子ならハナ、サクラ、ネネ、モモ、メリー、色が白ければシロ、黒ければクロ、体が小さければチビ、熊に似ていればクマ、中坊公平に似ていればナカボウコウヘイと決まっている。その他にも顔が田舎臭い、座り方が田舎臭い、尻尾の振り方が田舎臭い、肉球が田舎臭い、後頭部が田舎臭い、第二中手骨が田舎臭い等いろいろあるが、とにかくこういった悪影響をダニエルに与えるわけにはいかない。「何ゅう言ょんなら。おめぇも元々ぁ田舎もんじゃろおが。」また田舎臭い岡山弁だ、しかも高梁川以西特有の下品な訛りもある。誰だ!誰もいないか。

 ダニエルは室内飼育、コロはアウトドア派と、幸い両者の生活環境が違うので隔離しておけば大丈夫だろうと思ったのだが、妙に友好的なところがあるダニエルはコロの見える廊下のほうに行ってしまう。そうなるとコロも黙ってはいない、
「あぅわぅばぅがぅだぅ!」(何だおまえは家の中に上がり込んで!)
「うわん!うわん!」(俺は外で我慢してんだぞ!)
「をんをんをんをん、をん」(小さい頃は俺も家の中に入れてもらってたのに)
「恩、恩、恩、恩、恩恩恩恩恩」(早くこいつをどこか連れてってくれ)
「杞憂、杞憂….」(この家に犬は俺ひとりでたくさんなのに…)
近所迷惑もいいところだ。哀れコロは裏庭に移動させられ闖入者が立ち去るのをただじっと待つしかないのであった。「おめえが連れて来たんじゃろぉが、わん!腕!」

 ほんとうにリフレッシュできた帰省だった。瀬戸内の海の恵みが、中国山地の澄み渡った大気が俺の心とからだを洗ってくれた(もちろんお小言に姿を変えた家族の愛情も)。妻の疲れも取れただろう、これからがんばって働いて今までの2倍の給料をもらってきてほしいものだ。

 帰りの所用時間もほぼ10時間、むしろ往時よりも短く感じられた。渋滞とは無縁の旅行ができたのも俺の日頃の行いが良かったからだろう。心地よい疲れとともに東名高速を降りた時、なんだかコロの声が聞こえたような気がした。
「腕!…」

テキスト ボックス: 後日記; 田中シッカン、平田コロともに1999年に永眠しました。お二方の冥福をお祈りします。
アーメンソーメン南無阿弥陀仏。

1998年9月15日

17.話の腰が折れて痛い

 ぎっくり腰をやってしまった。10年ぶりのひどい症状で、俺は今“いわとびぺんぎん”のような歩き方しかできない。情けないことにダニエル(アクセントはエ)よりもカッコ悪い。俺とぎっくり腰との付き合いは18歳の頃、朝起きてすぐに重い物を持ち上げた時に始まった。その後、大学時代の厨房のバイトで慢性化し、奴は立派に俺のからだの住人になってしまった。それも、ここ10年ぐらいはおとなしくしていてくれたのだが、先日THE THRILL のミーティングの時ちょっと立ち上がった拍子に「あれ?」と来たもんだ。「咳をしても一人」という俳句を学生のころ国語の時間に学んだことがあるが、「咳をしても痛い」のほうが切羽詰まった感があり、同情も買われやすいのではなかろうか。かといって病院なんかに行ったらひどいこと(注射など)をされるのがオチだ。仕方なく“いわとびぺんぎん”の格好で回復を待つ身の上である。あー腰が痛い。

 実は、俺の母親が若い頃“椎間板ヘルニア”という立派な病気を患ったことがある。そのとき勉強家の母親が『家庭の医学』や『解体新書』や『ブラックジャック』や『真夜中の診察室』などで調べまくった結果、この病気が遺伝によって子孫に伝えられるという学説を知ることとなった。そう、俺の父親は近視混じりの乱視、その上喘息持ち、両親揃って肥満気味、それらがことごとく俺の身の上に降りかかっている。事はすべてDNAの仕業だったのである。部屋が散らかるのも、楽器の練習が嫌いなのも、競馬の予想が当たらないのも、金が無いのも、理屈っぽいのも全部ぜんぶDNAの仕業に違いない。あー腰が痛い。

 DNA、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)の略。生物の細胞核内で遺伝情報の保存・複製を担うことにより個体の性質を決定付ける物質、つまりその細胞によって構成された個体の設計図そのものと言える。驚くことに、あなたがあなたのお父さん(名前を仮に徳次さんとしよう)に気持ち悪いほど似てるとしたら、その特性は徳次さんのたった1個の細胞(精子)の中のDNAが伝えたものなのである。わかりやすく言えば徳次さんの精子の中には、とてもとてもとーっても小さい徳次さんが1人ずつ入っているということだ(余計わかりにくくなったかもしれないが)。一方あなたの身体そのものはあなたのお母さんのたった1個の卵細胞が分裂して出来たものだ。その卵細胞も当然DNAを持ち、両者のDNAが適当に混ざり合ってあなた固有のDNAが生まれる。俺の場合、DNAの腰の部分が少し弱いということだろう。もしかしたら眼鏡をかけているかもしれない。あー腰が痛い。

 ダニエルも当然その先祖から受け継いだDNAを持ち、父シャネル(Chanel)、母ディオール(Dior)が直接の遺伝者ということになる。血統書にはダニエルの4代前まで、つまり30頭のミニチュアダックスフントの名前がずらりと並んでいて、彼女の不格好の根の深さをあらためて実感するのだが、この中の1個所でも『きりん』とか『こびとかば』とか『やんばるくいな』が入っていたら今のダニエルの姿はまったく別のものになっていただろう。ましてや『オオサンショウウオ』とか『きはだまぐろ』とか『炊飯器』などが入っていたとしたら、これはもう想像することも出来ないような姿であったに違いない。あー腰が痛い。

 腰の話に戻るが、ダックスフントという犬種はその胴長の体型が原因で椎間板ヘルニアを発病する場合があり、そうなると歩行もままならない。今は歩き回ったり走り回ったりしているので一応犬らしいが、それができなくなったダックスフントはわんわんと鳴く枕のようなもので、そんなものが家にあっても困る。困らないためにも肥満は禁物とダニエルの食生活にはなるべく気を配っているとあらあら、うちのかみさんが太ってきた。

 あー腰が痛い…

1998年9月21日

18.環境問題とセキュリティ

 さっきから10分間は“ぴいたん”を捜しているがなかなか見つからない。キッチンの床でサンダル型のガム(の残骸)、リビングの真中で“はみがきロープ”と“ナイロンボーン”(新規導入)、俺の仕事部屋で“ホットドッグ”、マッサージ椅子の下で“ボール”をそれぞれ回収したのだが、“ぴいたん”がない。ゴム製で中が空洞の卵型をした“ぴいたん”はイレギュラーなバウンドをするため家具の下などの物陰に隠れていることが多く、いつも最後までみつからないのだ。無い、どこにも無い、絶対に無い。こんなに無いんだからダニエル(アクセントはエ)にも絶対見つけることはできないだろう。あきらめよう、あきらめた。

 ダニエルを檻の中に閉じ込めておく時、彼女が部屋中に散らかしたおもちゃを拾い集めて一緒に入れておいてやろうというのは俺の親切心からの行為で、決して義務ではない。考えると段々ムカツいてきた、おもちゃで遊びたければ自分で片付ければいい。まったくの話、ダニエルが来てから我が家のエントロピーの増大は目を見張るばかりである。おもちゃだけではない。四角い敷物は煮崩れたワンタンのような形になり、タグやひもが付いていれば必ず噛みちぎられる。俺のスリッパなどは以前からなかなか見つかりにくい性質を持っているのだが、よけいに見つかりにくくなった(その後スリッパ移動癖は熱心な教育のおかげでほぼ解消)。さらに、ダニエルのいない普通の家庭であればちっぽけな黒っぽい得体の知れない物体を部屋の片隅で発見したとき、(あれっ、ひょっとしてこれはうんちかな?)と思って拾い上げて観察した結果それが本当にうんちであることは極めて希だ。しかし、我が家の場合はかなりの確率でそれはうんちなのである。

 ダニエルから家財道具を守には2つの方法がある。

 1つ目は彼女の背の届かない高さの場所に物を避難させる物理的手段で、これが最も安全性が高い。ただし問題もあるわけで、スリッパや靴をわざわざテーブルの上で脱着するという行為は我々の習慣から大きくかけ離れているし、椅子を常時テーブルの上に置いておくのは見苦しく、なによりも使い辛い。テーブルの足をテーブルの上に避難させるとなると、これはもう物理学的な問題を通り越して哲学の領域に入る。しかもこの時期彼女の胴体はどんどん長くなっていて、これに比例して立ち上がったときに背の届く範囲も拡大してきている。つまり3日前の安全水平面が今日には危険領域となっているのだ。いずれ、家の中に安全地帯が無くなってしまう事態も覚悟しておかなければなるまい(胴の長さが4メートルにならないという保証はブリーダーも獣医もしてくれなかったからだ)。

 2つ目の方法は、噛んで良いものといけないものをはっきり区別して教え込む教育的手段である。現実的なのはこちらの方法で、実際前述のスリッパの例などである程度の成功を収めている。しかしこれにも問題があり、ダニエルの肉体的発育ではなく知的発育がこの方法を阻む要因となっている。つまり、“偶然”とか、“もののはずみ”とか、“できごころ”を装うようになったのだ。“ぴいたん”を噛もうとしたら偶然そこに電気コードがあったとか、横になったはずみでスリッパに歯が刺さったとか、その気はなかったが気が付いたらキッチンマットの端っこが口の中に入っていたなどと、犯罪の手口が非常に巧妙になってきているのである。

 そういうわけで第3の方法は無いかと考えていたら、ダニエルが寝室から“ぴいたん”をくわえて戻ってきた。




1998年9月30日