「おまえ、人殺しを抱くのは、お嫌かえ」
 無言の彦四郎に、
「二度と逢いはいたしません。夢のなかでも。ですから、ただ一度だけ」
                    
「妖恋」 皆川博子  PHP研究所

 お鷹同心結城彦四郎は、駒込富士開山の境内で、病弱な娘のために買おうとした厄除けのまじないの蛇に手を伸ばしたところで、見知らぬ女にとめられる。麦藁蛇の売主と、その女との間にやりとりされる緊迫した雰囲気。その女は、いままで忘れていた、おゆみという娘に似ていた。そして彦四郎の胸の中に、おゆみとの出会いがよみがえる。
 短編集。副題に「男と女の不思議な七草」とあるように、どこかすうっと現実から遠のく、不思議な感覚の短編が多い。表題作の「妖恋」など、過去と現在、幻想と現実が織り交ざって、どうにもこうにもうまく説明できないほどだ。
 そんな、命を捨てるほどの、気の狂うほどの「恋」の中で、「十六夜鏡」だけはやや雰囲気を異にするといっていいだろう。別のアンソロジーに収められたのを読んだことのある方もいるかもしれない。
 家業を嫡男に譲り、巣鴨の隠宅に移ってきた元医師。趣味の菊作りに精を出す彼のもとに、ある日、十六夜と名乗る人形を操る不思議な少年が現れる。こころよい香りの体臭、なまめかしい動きの人形。夢かうつつか。少年は隣家の三男、口のきけない知恵つかずだというのだが、彼の出会った十六夜はものを話し、愚昧な印象などまるでなかった。そしてふとした思いつきが、彼に少年の秘密をあばかせることとなる――手にすれば砕けてしまうものを愛しむ、「十六夜鏡」の恋のかたちは淡くせつない。他の作品にあるような激しさがないぶん、逆につのるあやかしへの憧れ。
 時代小説好きにも、恋愛小説好きにもオススメできる一冊である。



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