でも、わたしはいつもあなたのそばにいる。悲しいとき、手を握り、寂しいとき、一緒に空を眺める。あなたが荒野をあるくとき、風よけのマントになり、海で溺れたら、救命ボートで駆けつける。眠るとき、毛布をかけ、目覚めのとき、歌をうたう。
              
「浮舟」(「弱法師」所収)中山可穂 文藝春秋社

 祖母の七回忌の夏、薫子おばさんが鎌倉の家に帰ってきた。父の姉であり、母の友人でもあった薫子おばさんは、「わたし」碧生にとっては実の母以上の、育ての親でもある。
 独特のオーラを放ち、華やいだ不思議な魅力を持つ薫子おばさん。親戚のあいだでは女寅さんと呼ばれるほどに旅から旅の暮らしをしている、謎めいた部分。ばりばりのキャリアウーマンなのだろうが、あっけらかんと男言葉で野放図にふるまうその裏にある繊細さ。身体の弱い母親に代わって碧生を育ててくれたのは確かに薫子おばさんだが、それでも薫子おばさんは、つねに母親の文音をたて、母親ぶったりしたことはない。父さんと母さんと薫子おばさんとわたし――けれど碧生は自分には入れない三人の関係があることを、幼い頃から朧に感じていた。母さんを愛し、母さんが愛した人は誰なのだろう。そして、そこに娘である自分の場所はあるのだろうか。
 中山可穂、記念すべき十冊めの中篇小説集。作者からのメッセージが「片思いに苦しんだことのあるすべての人に読んでいただきたいと思います」とあるように、三篇とも「かなわぬ恋」の物語である。しかし、在り様はそれぞれに異なる。共通点はそれぞれ能楽を下敷きにしてある、というところだろうか。ただしもちろん、能などかけらも知らなくても楽しめるのはいうまでもない。
 表題作「弱法師」は悪性の脳腫瘍に冒された少年へと傾けた情熱によって、いままで築き上げた人生の全てを破壊されながらも、なおそこにひとつの幸福のかたちを見出す医師、鷹之の物語。
 「卒塔婆小町」は、先ほど書いたことと矛盾してしまうが、能本あるいはそれを下敷きにした三島由紀夫の戯曲「卒塔婆小町」などを読んでいると、中山可穂の翻案の見事さというのがよりいっそう伝わってくる作品でもある。新人賞受賞後、なかなか第一作目が出せずにやけになっていた高丘が出会った女ホームレスは、かつては敏腕編集者だった。彼女がどうしてそこまで落ちぶれることになったのか。彼女の口から語られたのは、繊細で一途なひとりの作家の恋物語。
 著者自らが「十冊目にして初めて、わたしは純愛小説というものを書いたのかもしれません」と書いている作品集。これが純愛小説かどうかはともかくとして、かなわぬ恋を集めた作品集はせつなくて痛々しい。しかし、なによりもわたしには「浮舟」の中にある家族の在りかたというものが力強く感じられてすがすがしかった。少女が大人になり、大人が少年少女にかえるときというものもあるだろう。どんな苦しい恋でも、知らないよりはいい。かなわぬ恋だけれど、しなければよかった恋なんてない、と思わせてくれる碧生の言葉。
 そして明日も今日のように生きていけるような気がするのだ。
 この一文の前にある文章はネタバレになるので書かないが、わたしのオススメはこの部分。
とはいえ、ある意味では中山可穂、新境地。おそらくいままでのコアなファン層から、少しは幅が広くなるのでは、と思わないでもない。



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