「きみにはわかっている、わたしだということが」
「ジェイムズ・ダヴェノールは11年前に自殺しましたわ」
「一瞬まえまではきみもそう信じていた。しかしいまや、それが真実ではなかったとわかったはずだ」
              
   「闇に浮かぶ絵」ロバート・ゴダード(加地美知子訳) 文春文庫

 19世紀、ロンドン。穏やかな生活を送っていたウィリアム・トレチャードの人生が一変したのは、一人の男のせいだった。ジェイムズ・ダヴェノール。11年前に不可解な失踪をとげ、自殺したと信じられていた准男爵家の跡継ぎ、そして現トレチャード夫人の婚約者。
 爵位を譲りたくない弟と、何らかの思惑の元に、頑として彼を本物のジェイムズだと認めないダヴェノール家の人々。一方、ウィリアムの心配をよそに、ウィリアムの妻コンスタンスは、元婚約者への恋心を再燃させてゆく。物語は前半、嫉妬に狂った夫の手記と、ジェイムズ対ダヴェノール家の対決が中心になって描かれる。家族以外の者が知るはずのない秘密を知るジェイムズ。彼の真偽を確かめることは、ダヴェノール家が隠してきたいまわしい過去を掘り起こすことにも似ていた。果たして彼は本物のジェイムズか。それとも、前准男爵、ジェイムズたちの父親にあたる奔放なサー・ジャーヴェスの過ちの結果なのか。
 ジェイムズがダヴェノール家に自分を認めさせるために頑張る前半部分もおもしろいが、物語が俄然おもしろくなるのは、やはり半ば以降。ダヴェノール一族の中で、ただひとり、ジェイムズを自分のいとこの息子だと認めたリチャード・ダヴェノール。しかしジェイムズが爵位と元婚約者の愛を取り戻した後になって、彼はひとつの恐ろしい疑惑を捨てきれなくなる。それは嫉妬に狂ったあまりに精神病院に入れられたウィリアム・トレチャードの手記に秘められていた、見過ごすことのできないひとつの事件だった。リチャードはわずかな手がかりから、真相を追いはじめる。
 伏線につぐ伏線、絡まりあった過去。肉厚な登場人物たち。ラストはややこじんまりまとまった感じだが、息もつかせぬおもしろさであることは保証。さすがゴダード。外れがない。




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