「それに気分の振幅がすごくて。すごく元気いっぱいだと思ったら、つぎの瞬間にはリジー・ボーデンみたいな気分になってるの」
「リジー・ボーデンってだあれ?とトウィッジ。
「自分の両親を殺した人」とビッシュ。「斧でね」
       
 「女王様でも」(「最後のウィネベーゴ」所収)コニー・ウィリス(大森望訳) 河出書房新社

 母に義母、娘ふたりに孫娘、という女系家族に位置する「わたし」トレイシーは、下の娘パーディタがサイクリストに入会したことで家族に問題が発生することを危惧していた。――特に、義母のカレンにそれを知られることに。だが、トレイシーのささやかな願いもむなしく、家族が集合した昼食の席には、イラクの紛争を仲介に行っていたはずのカレンまでが加わって、サイクリストの導師を交えての話し合いへと発展してしまう。サイクリスト。それは薬によって生理から解放された女性が、ふたたび自由と女性のあかしとして生理を復活させようという会のことだった。当初、サイクリストになるもならないも個人の自由だといっていた義母のカレンだが、ワインを飲みながらの昼食がすすむうち、女たちは次々に生理の不快感を語り出し……――
 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、アシモフ誌読者賞、SFクロニクル賞の五冠に輝いたという短編。これをフェミニズム小説と簡単に片づけてはいけない(実際、フェミニズムそのものを風刺しているようでもあり、フェミニズム界でも評価は割れるとか)。ウィリスのどたばたコメディ調が、座ったままの昼食会で展開されるあたりが見どころ。家族の昼食にトレイシーの助手である男性が1人混じっているあたりも心憎い演出である。
 短編、中編が収められた作品集だが、「最後のウィネベーゴ」だけがシリアスな物語。病気によって犬が絶滅してしまった世界で、かつて自分の飼い犬を轢き殺されてしまった男の物語。彼の孤独感が淡々と筆致の中から伝わってくるからこそ、ささやかな出会いがもたらした癒しが際立ってくる。
 といっても……全体にオススメか、というと微妙な感じはあり。まあ、そこがウィリスか、ともいえるのですが。



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