「四等三角点になると正式記録は残らない」
 柴崎は小さい声で云った。
「だが事蹟は残ります。やりましょう」
          
 「劒岳<点の記>」新田次郎  文春文庫

 点の記とは、三角点設定の記録である――という添え書きから始まるこの物語は、日露戦争直後、地図上に唯一残されていた空白を埋めるため、宗教上の理由からも登ってはならないと恐れられていた山、北アルプス劒岳山頂に登頂しようとした男たちの記録である。
 陸地測量部の柴崎芳太郎は、測量部長の大久保少将から、近年創立したばかりの山岳会が劒岳を含む中部山岳地方の五万分の一の地図を要請してきたこと、なにより、山岳会が劒岳登頂に挑戦しようとしていることを聞かされる。軍が足を踏み入れたことのない山に、民間人が先に登るなどあってはならないことだ、と語気を強めた部長は、誰よりも先に、劒岳の初登頂を、と要請するが、それは命令に他ならなかった。柴崎は信頼のおける測夫や案内人たちと、前人未踏の山に挑む。だが目の前にそびえたつ劒岳は、まさしく針の山のように、とりつく場所などまるで見あたらないのであった……
 地図を作るために、こんなにも苦労した人々がいるとは思ってもみなかった。あっさり眺めてしまっている地図だが、等高線ひとつとっても、その山に登り、測量した人がいて初めて作られたものなのである。しかもそれは、真夏の暑い日や、真冬の雪の日に、風雨に耐え、家族とも離れ離れになりながら、十分な下見と実踏を行うという過酷なものだ。
 さて、お遊びの山岳会には負けまいと、劒岳初登頂を目指す柴崎たちだが、その結果は思いもよらないものとなる。現実とは、こういうものなのかもしれない。



オススメ本リストへ