かくて、わずか五秒間のあいだに彼は生まれ、生き、死んだのだった。三十年も生き、六ヶ月も苦痛にさいなまれた果てに、平凡な普通人、ガリー・フォイルはもはや何ものでもなくなった。
          
 「虎よ! 虎よ!」 アルフレッド・ベスター(中田耕治訳) ハヤカワ文庫

 物語はこのように始まる。
「まさに黄金の時代だった。雄渾な冒険が試みられ、生きとし生けるものが生を謳歌し、死ぬことのむずかしい時代だった……」と。
 時代そのものが力を持ち、騒然としていた時代に、ガリー・フォイルの復讐が始まる。宇宙船ノーマッド号のただひとりの生き残り。そのときの彼は生きる価値のない人物、肉体的には強くても、知力は未発達、向上心も野心もなく、ただ呼吸をし、食べ、生きている――そんな男だった。しかし、百七十日間の孤独な漂流の後、彼を救うはずだった宇宙船に見捨てられた、そのときから、彼は変わった。憤怒が彼の不活発さを食い荒らし、彼の心にいまだかつてなかった野心にも似た爆発をもたらしたのだ。ガリー・フォイルは彼を見捨てた宇宙船「ヴォーガ」に復讐するためにだけ生きるようになる。
 フォイルを救ったサーガッソ小惑星の人々により、顔に奇怪な刺青を入れられたフォイルの物語は、第一部と第二部でがらりと様相を変えるが、それは「モンテクリスト伯」のごとく……奇怪な刺青をした顔を持つガリー・フォイルという肉体の牢獄および物理的な監獄からの脱走を描いた前半と、新たな仮面をつけ一歩、また一歩と「ヴォーガ」に迫っていく後半である。とにかく、息もつかせぬおもしろさ。最後の最後は、うーん、こういうオチかあ、と思わないでもないのだが、実験的な試みがなされた部分もあり、ぜひ読んでもらいたい一冊である(が、手に入るかどうかは定かではない。ごめんなさい)。



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