おまえは誰だ、こころの闇か?
 ……トオル?
          
「天使の骨」 中山可穂  集英社文庫

 なくてはならない片腕、戦友。何を失ってもこの男だけは。誰が見限ってもこいつだけは。そういう最後のぎりぎりの男であったはずのトオルを失い、芝居を失い、生きる気力さえをも失った王寺ミチル。偶然のきっかけからミチルに劇団をふたたび旗揚げしてほしい、というファンから資金を渡され、ミチルはあてのない旅に出る。彼女の周りにはぼろぼろの天使たちが歩いていた。死を想うたびに増える天使。二人が三人に、三人が五人になり、三十人を超えると隊列を組んで行進するようになり、アクロポリスの丘の円形劇場では舞台から客席までをぼろぼろの天使たちがぎっしりと埋め尽くし、走り回る。
 ミチルは決して、芝居の話をしない。芝居を書こうとするそぶりもなく、芝居を観ることもない。それでも、いつでも胸の奥にトオルがいる――それは、同時に芝居を想うことでもある。
 失ったものを想うだけの日々は痛い。ミチルはかさぶたをはがすように、何度も何度も繰り返しトオルの名を呼ぶ。どんな街を歩いていても、どんな料理を食べていても、トオルの影から離れることがない。そこにあるのは魂の死だ。
 朝日新人文学賞受賞作品。ということで、「猫背の王子」とは別の本だと思っても、もちろん、いい。この作品だけを読んでも内容がわかるようにはもちろんなっている。けれど、「猫背の王子」を読んでいたほうがいいのは――当然だ。ミチルとトオルの関係への理解は、よりいっそう深まるのではないか、と思う。
 死を思いさすらうミチルに、「猫背の王子」のときの精彩はない。会話も文章も思考も、どこか澱んでいる。けれど、だからこそ、ミチルがどれほど芝居に、トオルに打ち込んでいたのか、失ったものが彼女にとってどれだけ大切なものだったか、そのことが伝わってくるようになっている。
 今回は、ただ一行で泣きました。
 それがどこのシーンかは……読んだ人には、絶対わかる。



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