「みんな作り話なんでしょ?」
「もちろんそうだよ。でも、ほんとにいるのと同じだよ」
「なんで?」
「だって、この話はぼくの話だからね。ぼくはどんどん続けていくんだから、虫は、ぼくといっしょに生きているのさ」
             
「てのひら島はどこにある」佐藤さとる 講談社

 タロベエ=太郎は、ほんとうにとんでもないいたずら坊主。双子のお姉ちゃんのフミとクミはふたりがかりでもかなわなくて泣かされているし、太郎を押し入れにとじこめたお母さんは、しばらくしてその中で壁に穴をあけて逃げ出そうとしている太郎を発見して驚かされる。
 お母さんは、太郎のそのいたずらぶり、さわぎぶりに「まるではちみたいだわ」と思い……そこから、はちによく似たいたずら虫のお話を考えつく。たちの悪いひねくれ虫が太郎にとりつかないように気をつけながら。
 いたずら虫のクルクル、双子の泣虫アンアンとシクシク、おこり虫のプン。ひねくれ虫のエヘラ。お母さんのお話はけれど最初の一回だけで、あとは子どもたちがお母さんに話して聞かせ、そののちには……フミとクミはアンアンとシクシクの話を、太郎はクルクルの話をどんどん作っていくようになる。そして太郎はある日、木いちごをさがしに行った先で出会った少女、おこりんぼのヨシボウに虫の神様のことを話して聞かせ……おこり虫のプンをヨシボウにあげる。
 プンをちょうだい、というときのヨシボウのことがわたしはとても好きだ。
「あたしも、プンをもらって、プンのお話を作りたいから」
 実は、この話はその製作過程からいって、「だれも知らない小さな国」と姉妹作の間柄にあるという。たしかに、ひとがこころの奥にもつ小さな世界という意味ではよく似ているといえるだろう。それでも、小さな国のコロボックルたちとは異なり、最初からこの虫の神様たちがタロベエやヨシボウの空想の中に住んでいるものであるがゆえに……この話の持っている楽しさ、空想の世界をもつことのよろこびはひとしおだ。きっと、ヨシボウのように自分も虫の神様でお話を作りたくなる、そんな気持ちになってしまうに違いない。



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