末期の言葉が耳から離れなかった。姉はきっと、自分の嘘を知っていたのだろうと思った。がんばって――おそらく姉は、もう嘘はいいから、がんばって日本一の盗人になれと言おうとしたのだろう。
          
「天切り松闇がたり」浅田次郎  集英社

 留置場に連れてこられたのは、時代がかった小柄な老人。防犯マニュアル作成を手伝うついでに懐かしい雑居房で幾晩かを過ごそうという。洒落ているのかずれているのかわからぬ、その老人こそ大親分仕立屋銀次の孫分にあたり、抜弁天の安吉の杯を受けた盗人、天切り松である。
 老人の語る話は、しかし、飲んだくれ、借金まみれの父親に売り飛ばされ、盗人修業をすることになった、幼い松蔵の日々が中心となる。貧しさゆえに盗人となった松蔵を、親分の安吉をはじめとした抜弁天一家の面々が、ぎこちない愛情で可愛がってくれる。スリであり、詐欺師であり、盗人である彼らもまた、親と離れねばならぬ事情、かたぎに、素直になれぬ事情を抱えていたからだ。雑居房にたむろする男たちは、老人の話を自分に重ね合わせ、涙せずにはいられない。
 連作短篇集。
 若者を更正させるためにやくざや盗人に弟子入りさせる――という、浅田次郎がよく書くそんなシステムが本当にあったかどうかはともかくとして、そのままでは生きていくことさえ立ち行かなかったであろう松蔵には、天切り松になるしか道はなかった。そして、幼い松蔵の目からは、あまりにも偉大すぎる兄貴分たち、親分もまた、おそらくはそんな過去を背負っている。老人になったいまだからこそ語れる幼い日々の苦楽というものが滲み出て、なんともうまい作りの本である。オススメの一冊。ドラマもかっこよかったよねえ……



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