武島剛志などという人物は存在しない、自分は昔から一人きりだった、そう思い込もうとしていた。
                 
   「手紙」東野圭吾 文春文庫

 弟の進学に金がいる。その思いから盗みに入り、思いもかけない成り行きで殺人を犯してしまった武島剛志。弟の直貴は優しい兄が自分のために強盗殺人という罪を犯したことを悲しむが、そのうち、兄への同情よりも、強盗殺人犯の弟という自分の立場に苦しめられることを知る。自分は自分、兄は兄……といったところで、どこへいっても兄の罪は付いてまわるのだ。進学どころか就職もままならず、そんな中で見つけたささやかな夢さえ兄のせいで諦めねばならない。誰かを愛することもできない。直貴は世の中の差別に理不尽さを感じると同時に、兄への嫌悪も抱くようになる。月に一度、送られてくる兄からの手紙。いつしか直貴は返事を書くどころか、読みもせずに破り捨てるようになっていった……
 こんなに苦しまなければならないだろうか。その問いに、ひとつの答えが与えられる。
「我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば、家族をも苦しめることになる――すべての犯罪者に、そう思い知らせるためにも」
 人々の差別こそが不当だと思っていた直貴に向けられた言葉。冷たいようにも思えるが、これほどまでに正直な言葉もないと思う。
命を奪う罪を犯すということ。その重みがずしりと伝わってくる本である。そんな中、ごくわずかでも直貴を直貴として見てくれる友の存在があるだけでも救いだろうか。人と人とのかかわりや、家族の絆、罪と許し。さまざまなことを考えさせてくれる作品である。




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