願わくは、自分と妻とがともに変貌できますように。自分は妻のために、妻は自分のために、変貌することができたなら。妻はずっと苦しんできたんです。魔法、祈り、知識、祈願、なんだって捧げますから。
         
「月の詩」 (「タマスターラー」所収) タニス・リー (酒井昭伸訳) ハヤカワ

 中年の書店主のもとに嫁いできた十七歳の少女――といえば、どんなふたりを想像するだろうか。周囲の声におされて結婚したふたりは、ガリガリで近目の醜男と、でぶで歯なしのブス。男はかつて亡くしてしまった、少なくともふつうの容姿であった少女の思い出のために婚期を逸し、女はその外見のために中年の男のところにしか嫁げなかった。互いに相手のことをハズレだと思い、ぎすぎすした言葉しか交わせない新婚旅行の途中、列車が脱線して、乗客たちは夜の森に放り出される。他の乗客とはぐれ、ふたりきりになったそのとき、みじめな思いに泣くしかない男を情けなく思いながらも慰める女。暗闇の中で声だけを聴いていれば、彼女はなんと美しい声をしているのだろう。そう思った彼は、眠りにつく寸前、頭上の月に祈るのだ。互いが変貌できますように……と。
 幻想的で美しい話を得意とするタニス・リーが、幻想の地インドの過去、現在、未来を描いた連作短編集である。表題作「タマス・ターラー」も、もちろんいい。美しい妖魔に魅入られた少年の成長物語であり、現実と幻想とが交錯する世界にはうっとりさせられる。それでも、この作品集の中でいちばん好きな作品を、と問われたら、わたしはためらわずに「月の詩(チャーンド・ヴェーダ)をあげるだろう。
「幸福は?」「愛する人の目の中に」――たしか萩尾望都の漫画に、そんな台詞があったと思う。月はときには残酷に、けれど時には思いもかけない贈り物をくれる。しっとりとした情感にあふれる佳品である。



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