「お前は将軍になるのはいやだろうな」
 重大な言葉だったが、『鬼っ子』にとっては何の意味もなかった。
「いやですね」
              
    「捨て童子・松平忠輝」 隆慶一郎  講談社

 徳川家康の第六子、忠輝は生まれたとき、その容貌のあまりに恐ろしげなことから父である家康に疎まれ、捨てよとまでいわれた人物である。のちに若干二十五歳で流罪となり、以後六十七年間を配所で過ごした。一方で、あまりの英邁さから自がいさせられた信康にそっくりだったという説もあり、このような人物がなぜ永代流罪にならねばならなかったのか……――この物語は、あまりに優れていたがゆえに憎まれ、おそれられた男の姿を描き出したものである。
 生まれながらにして体術、剣術に優れ、わけへだてなく人と接するがために流浪の民や異国人とも親しく付き合い、南蛮の言葉を操り、医術をも身につけた忠輝は、鬼っ子であるであると同時に徳川家康の息子であった。本人が望まなくても、人は彼に夢を預け、中でも大久保長安は忠輝のもとでキリシタンの王国が栄えることを夢見る。そしてそれを、家康はもちろん、将軍となった秀忠も許すわけにはいかなかった。しかも秀忠には凡庸な人間が天才を憎むという卑小な嫉妬からの思いも消しがたく存在したのだ……
 といっても。とにかくこの忠輝がよい。なんでもできる能力を持ちながら優しすぎる心の持ち主ゆえに破滅の道を進んでいく。しかし、そんなときでもなお、彼は笑うのだ。すべてを失ってなお、その自由さに微笑むことのできる男。周囲の人間の右往左往するさまなど、彼にはまるで影響ない。もう少し後に生まれていたら。もしくは、徳川家に生まれていなければ。文庫で上・中・下三巻。あっというまに読めてしまうことは間違いない。



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