「あなたは、決してぼくを傷つけません」
「愛するものすべてを余は傷つける」
          
「ソングマスター」 オースン・スコット・カード(冬川亘訳)ハヤカワ文庫

 世界中の人々が畏れ、敬う恐怖皇帝ミカルに対しても、ソングハウスは決して屈しない。すべての人々を平等に扱い、各人をその権勢ではなく能力によって評価するというソングハウスの伝統では、音楽を理解できない人間は、どれだけの金を積み、どれだけ願ってもソングバードは与えられないのだ。しかし、ソングハウスを訪れた若き皇帝には、驚くべきことに音楽を理解する心があった。人を殺したことのある人間、強欲あるいは貪欲な人間、力を愛する人間にはソングバードの歌声は理解できないはずなのに。しかし、ミカルは違った。かれは堕落していない、恐ろしい利他主義者だったからである。そこでソングハウスは、この行為が誤解を招くことを承知の上で、ミカルにソングバードを与えることを約束した。
だが、ミカルの歌を歌うことのできるソングバードが皇帝の元に届けられたとき、それは実に若きミカルがソングハウスを訪れてから、八十年近くの月日が流れていた。
 幼いころから驚異的な歌声を響かせ、その才能を見せたアンセット。ソングマスターのエステに導かれ、かれはミカルのためのソングバードとして地球を訪れる。だが、そこに待っていたのは老いたミカルとの愛情あふれる日々ばかりではなかった。恐怖皇帝として、多くの暗殺者に命を狙われるミカル。そしてアンセットもまた、否応なしに変わらざるを得ないのだ。愛と友情と殺戮と死。故郷ソングハウスから遠く離れた場所で、アンセットはいつしか歌を失い、さまようこととなる。
 音楽が、歌が、言葉よりも力を持ち、真実を語る。美しい少年であり、どんな歌でも歌うことのできたアンセットが故郷に戻ることが出来たのは、自分がかつてのミカルと同じくらい老人になってからのことである。かれは美しい歌を失ってしまっている。だが、ほんとうに? すべての歌は失われてしまったのだろうか。殺し、失い、愛し、苦しんできた日々を経てからのアンセットの歌声。それは幼い子どもたちや純真な者たちを苦しめるだけなのか――美しい話である。と同時に、醜い話でもある。だが、その醜ささえもが美しくなる、そんな物語でも、ある。



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