「おまえは地球上の意識をもつ存在の中で唯一、ある決断をくだして、それを守りとおすことができるんだ、なんてことを九歳の娘にどう説明したらいいんだ?」
                  「ひとりっ子」(「ひとりっ子」所収) グレッグ・イーガン(山岸真編訳) ハヤカワ文庫

 「ぼく」は、学生時代、路地でひとりの男性が複数の男たちから寄ってたかってなぶりものにされている場面に遭遇した。誰かが警察には電話をしたといっても、暴漢たちは手をとめることなく、血まみれの男を殴りつづけている。倒れている男とは縁もゆかりもない。他の三十人と同じように、ぼくもただ見ていればいい。……けれど、ぼくは自分でもいかんともしがたい思いから、その喧嘩をとめるために中に飛び込んでいき、やっぱり予想通り、殴り飛ばされて地面に転がる羽目になった。だが、その後すぐなのだ。ぼくがフランシーンをはじめて誘ったのは。
 ひとつの判断が、あらたな自分を生み出し、一歩間違えば他人のままでいさせたかもしれないふたりを結びつけた。MWI――多世界解釈。世界はひとつだけでなく、あるできごとに対して成功した自分がいれば、一方で失敗した自分も存在する。ぼくをしあわせにしていることは、もしかしたらもうひとりのぼくを不幸にしているのかもしれない。そしてある日、そのもうひとりのぼくが分け前を請求に来たりでもしたら? その思いが、流産で失った子どもの代わりにフランシーンとふたりで得たAIの子どもを「単一存在(シングルトン=ひとりっ子)」にすることを選択させた。彼らの子どもヘレンは、つねに選択肢の中から特定のひとつだけを選び出し、つねに特定のひとつの行動方針にだけ従う、分岐しない存在なのだ。しかしぼくの中にはいつも、ヘレンをシングルトンにしたことが正しい選択だったのかどうかという思いもあった……
 短編集。
 表題作である「ひとりっ子」の他、愛しあう気持ちに"ロック"をかけ、ある一定の気持ちを継続させようとした夫婦の物語「真心」や、愛しあうふたりが究極に同化する「ふたりの距離」、インプラントテクノロジーによって自分の感情に方向づけを行う男の物語「行動原理」など、アイデンティティに関わる問題が、イーガンにしてはかなりわかりやすいSFで語られている。前評判の高かった「ルミナス」より、細かい物語群のほうが個人的には気にいった。物語としても素敵だし、長編では敬遠していた人にもオススメできるほどに読みやすい。オススメである。イーガン初心者にはぜひ(ただしネタとしては「祈りの海」や「しあわせの理由」に通じるものがあるので、そのあたりを読んでおくともっとわかりやすいとは思うが……)。




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