「竹は生きものだから人間さまを試してるんだ。手のきれいな職人はこれに騙される。もっとも手のきれいな奴なんざァ、職人じゃねえがね」
           
 「一会の雪」(「江戸職人綺譚」所収) 佐江衆一 新潮文庫

 駕籠かきをしている夫の熊造と夫婦になって二十年。茶店を営むおすぎは、ある木枯らしの吹く夕暮れ、行き倒れの旅の女、おきくを拾う。おきくは一人前になったら夫婦になろうといい残して修行に出たまま戻らぬ伊助を十五年待ちつづけ、ついにその消息を聞いて旅に出たというのだ。病身を押して旅に出たおきくは、だが、結局おすぎの元で息を引き取る。そして、おすぎが残した、伊助が作ったという行李を撫でながら、おすぎはふと思うのだ。
(あたしはこれまで、おきくさんのように一人の男を思いつづけることなんてなかった……)
 夫との暮らしに不満があるわけではない。けれど何かに押されるようにして、伊助のいる江戸へとむかったおすぎ。そして雪の夜、葛龍師の伊助とおすぎの間にかわされたやりとりとは。
 葛龍を編みつづける伊助の手元から吐き出される、しゅしゅッ、しゅしゅッ……という小刻みな音。外に降り続ける雪の音。身体を交わすわけでもなく、睦言を交わすわけでもない。それでもこれは清冽で美しい恋愛小説だ――といっていいだろう。
 短編集。「続 江戸職人綺譚」もあり、江戸の町で不器用に己の技を磨きつづける職人たちを描いた作品集である。どちらかといえば、磨いた技によって名をあげた人物よりも、古いやり方や愚直なまでに堅実なやり方に拘って、一部の通には好まれながらも決して裕福にはなれない貧しくも頑固な職人たち、または己の技に溺れて身を滅ぼす者たちを描いている。ふと己の周りに既製品の多いことを反省し、手作りの作品を出してきて眺めたくなる……そんな、江戸の香りのする佳品である。



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