ナイルズがふと怖れたのは、そのようなかたちで、合理的な解決だろうと不合理な解決だろうと、それがもう一切関係なくなってしまい、ただいずれが真実であるのかも判らぬいくつかの仮説が、不意にむくむくと生命を得たように起きあがり、ぴょんぴょんと跳梁し始める、そんな事態だった。
              
  「匣の中の失楽」 竹本健治 講談社NOVELS

それぞれ違う大学に所属し、専攻も異なりながら、探偵小説好きという一点で結ばれた青年たち。しかし、彼ら「ファミリー」に影が差しはじめたのは、ファミリーの一員、曳間が数ヶ月の長きに渡って行方不明となり、ある日、密室ならぬ密室である倉野の部屋で死体となって発見されたときからだった。警察の気乗り薄な調査と対抗するかのように、ファミリーのメンバーは互いのアリバイを探りあい、推理を披露しあうことになる。しかしそれは同時に、年少のメンバー、ナイルズが書いているという彼らの実名を用いた推理小説とも複雑にリンクし始めていた。どこからどこまでが現実で、どこからがナイルズの書いた小説なのか。
 就職祝いすみたこさんからご紹介いただいた一冊。これはもしかすると、就職祝い条件Hのとんでも本に分類すべきかもしれません……!!
 なにせ、曳間殺人の事件の第一章が終わり、第二章になった途端、
「ねえ、どうかなあ」
 という台詞とともに、ナイルズが曳間に、曳間殺人事件を書いた小説の第一章を読ませている、という場面に転換する。……そう。第二章では曳間は生きており、彼が死ぬのはナイルズの小説の中だけであり、さらには微妙に登場人物たちの性格も異なっているのだ。そして、事件が発生するのだが、さて、第一章のほうが小説なのか、実は第二章のほうが小説なのか、どちらが現実で、どちらが空想なのか……混沌とした状況の中、犯人どころか被害者さえもが不明になってくる。
 登場人物の多さと独特の文体にてこずり、ようやく人物を把握できたころになって、同姓同名、状況も同じなのに性格や外見が異なる人々の出てくる第二章に転換してしまう。ひいひいいいながら読みすすめることになるのだが、何がすごいって、この無茶苦茶ともいえる状況に、ちゃんと解決が示されるのだ。
 この混沌ぶり、ぐちゃぐちゃぶりをぜひ楽しんでもらいたい。いやはや、これはとんでもない本です。



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