推理して、謎を解かないかぎり、その強迫観念からは逃れられない。そのことはわかっていた。その結果、心ならずも人を裁かなければならない佐伯の人間としての懊悩など、ついにかえりみられることがない。
              
  「神曲法廷」 山田正紀 講談社NOVELS

 東京地検の刑事部に所属していた佐伯神一郎は、あることをきっかけに特捜部への栄転がかなわず、それどころか東京地検にもいられないほどに精神のバランスを崩していた。そのとき、彼がひたすらに読み込んだのはダンテの『神曲』である。そして約半年後、一片の金属さえ持ち込むことが出来ないはずの密室で弁護士が刺殺され、続いて判事が殺された。ふたりが関わっていた神宮ドーム火災事件と、今回の連続殺人事件にはなにか関連があるのか。かつての先輩、東郷に依頼され、佐伯は神宮ドームを造った異端の建築家、藤堂を追う。佐伯と同じように『神曲』に耽溺していたという藤堂は、なぜ姿を隠さねばならなかったのか。
 失踪した藤堂を追う佐伯の前に現れるのは恐ろしいほどの美貌の美少年、奇妙な理屈をこねる精神科医、かつて佐伯がほのかな恋心を寄せていた女性――彼らのすべてを『神曲』の一節一節と結びつけてしまうのは佐伯のせいなのか、それとも、何者かによって操られているせいなのか。幻聴か、それとも神の声か。精神分裂の危機に怯えながら、佐伯は事件の真相に迫ってゆく。
 途中、精神科医の望月が"憑きもの"理論なるものを開陳する。名探偵などいるはずがなく、佐伯が事件の核心に迫っているのはなんらかの"憑きもの"が憑いているせいだ――というのだが、実際、佐伯には幻聴が聞こえていて、テレビの中の人物に教えられることなどもあるので、それを一概に否定はできない。そういう佐伯のこころの揺らぎが、物語の中心にあるといってよい。彼とともに苦しみ、迷いつつ事件を追っていくからこそ、ラストの衝撃は大きいのだ。
 これですべてが終わった、と思わせておいての衝撃のラスト。あまりのことに佐伯と一緒に気が遠くなりました。すごすぎです。



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