「私は同じ傷つき方をしてきた人間と傷の舐め合いがしたいんでもないし、自分より不幸な人間を探そうとしてるんでもありません」
 この言葉にはいくつもの嘘が潜んでいる。
              
    「深紅」 野沢尚  講談社文庫

 先生の目を盗んで夜遅くまで起きていた修学旅行の夜――担任の先生から急に呼び出された奏子は、そのまま両親と幼い二人の弟のいる東京へと連れ帰られた。事故でもあったんだろうか……冷静に大人たちの反応をうかがっていた奏子には、もう間に合わない結果となったことまでは予想がついたが、まさか、残忍にもハンマーで殴り殺されていたことまでは知る由もなかった。奏子以外の秋葉一家を惨殺した犯人は、その手記の中で、自分がいかに奏子の父親によって騙され、虐げられていたかを記していた。加害者に向けられる同情の視線と、唯一の生存者にむけられる好奇の視線。
 かつての事件のことを隠したまま大学生になった奏子のもとに、ついに死刑判決が下されたと報せが入る。そして奏子は、かつて知り合ったジャーナリストのつてをたどり、自分と同い年の加害者の娘に接近しようとするが……――
 物語は、唐突に家族を失ってしまった小学生の奏子、加害者の手記、という強烈な印象をもつ前半部から、大学生になった奏子へと切りかわる。淡々とした、ありきたりの大学生活。だが、その裏に潜んでいるのは、生き残ってしまったことへの罪悪感、生きることそのものを罪と感じてしまうほどの苦しみだ。だからこそ、奏子は、自分が「黒い芯」と称したものを、加害者の娘も抱いているのだろうか、加害者の娘はどんな風に生きてきたのか、と知りたくてたまらない。けれど、本当の自分を隠したまま接近した奏子に、相手、未歩は思いがけない親しみを見せるのだ。悪意を隠し、かさぶたをはがすような思いでじりじりと接近していく奏子とともに、物語に引きずり込まれてゆく。
 傷ついたふたりの少女が出会ったことで、新たな殺人事件が計画される。穏やかな日常が描かれているからこそ、その奥に潜んでいるものが、怖い。
 第22回吉川英治文学新人賞受賞作。オススメ。



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