「読むだけでいいんですか」
「ええ。今日はまずそれを」
            
   「迷宮」 清水義範   集英社文庫

 記憶を失った「私」は、なぜ自分がここにいるのか、ということも明らかでないまま、医師の勧める相手と会った。仮に治療師と呼ぶことにしたその相手は、「私」にいくつかの文章を読ませる。それは、24歳のOLがアパートで殺され、遺体の一部を切断されたという猟奇的な犯行であった。犯人は彼女のストーカーで、合コンで知り合った彼女に一方的に熱を上げた挙句の犯行であったらしい。読まされるのは、事件の概要、週刊誌の報道、事件を小説化しようとする小説家の手記、供述調書など。治療師が「私」にこの事件にかかわる文章を読ませようとするのはなぜか? 事件にかかわった人物は何人かいるが、「私」はいったい誰で、治療師は誰なのか……
 さまざまな視点で書かれた事件を読むことで踏み迷う「迷宮」。同じ事件であっても、角度によっては被害者にも非があったり、加害者に関する新しい視点が生み出されたり、する。それでも残るのは、なぜ陰惨な事件を引き起こしたのか、という動機である。
 さまざまな文章が積み重なったのち、治療師ではなく「私」が提出した文章によって、新たな謎が生まれる。ラストの大どんでん返しは見事。



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