サムが新聞に自分の人生を公表しようと決めたのも、もとはといえば、自分がごくふつうの少年で、ありのままの自分を受け入れてもらいたいと思っていることを世間に伝えたいと思ったからだ。サムが望んでいたのは、マスクの下にいる少年の姿を見てもらうことだった。
                  
「サム あたたかな奇跡」 トム・ホールマン・ジュニア(鈴木彩織訳) 学習研究社

 サムは身長152センチ、38キロという小柄な少年だ。まわりの人間はサムがしゃべらないのは知能が遅れているせいだと思い込んでいるが、実際には成績優秀な生徒で、幾何学についてはすでにハイスクール・レベルに取り組んでいる。中学校では、グループ課題が出ればみんながサムを頼りにする。けれどサムは来年度、ポートランド1の規模を誇るグラント・ハイスクールへの進学を希望していた。グラントに行けば、また新たな視線が集まるだろう――サムの顔の左側には、巨大な肉の塊がふくらんでいる。組織の中心部には青い血管が浮かび、耳の下から顎までが半球形に腫れあがっている。左眼は塊に圧迫されて細い切れ込みのようになり、口はいびつな形に変形している。右側だけを見ていればごく普通の少年だが、他人はそうは思わない。
 サムは生まれたときと幼い頃と、その塊のために何度か手術を行ってきた。だが思春期を迎えたいま、彼は外見を少しでもよくするための手術に挑戦しようと心に決める。しかし、血管形成異常と診断されたサムの左顔面には、微細な血管や神経が縦横に張り巡らされていて、手術は容易なことではない。それでもサムは心から手術を望む――
 物語は手術後、さらに困難な状況に置かれたサムを支える医師や家族を丹念に描き出している。サムはべつにモデルになりたいわけではなく、ただ普通の外見がほしいだけ。なのに、生と死の狭間を彷徨い、父親でさえ、サムの生に自信が持てなくなってしまう。
 サムがグラント・ハイスクールに来たとき、男性の教員らしき人物から、知的障害児のための特別学級が最高だと勧められて言葉を失うシーンがある。街中で、サムをはじめて見た人々の視線をぐっと堪えるシーンもある。そのようなシーンを読むたびに、わたしは自分のことを振り返らずにはいられなかった。わたしはサムがグラントに在学していたとき、グラントにいた。サムのことは、大変な手術をしてがんばっている生徒、としか知らなかったので、見かけても他の知らない生徒に対するのと同じくらいの関心しか払わなかったと思う。というより、あえて払わないようにしていたと思う。サムの顔は、それくらい、じっと見ては失礼になるのではないかとか、衝撃を表しては駄目だとブレーキをかけなければならないほどに(特にその当時はこの本で知ったのだがいちばん具合の悪いときだったので)強い印象を与えるものだったのだ。そして、そのときのわたしはサムの知能を高いものだとは決して思わなかったのではないかと……そんな風に思うのだ。人を外見で判断しない、ということの難しさを改めて思う。あのときだって、マスクの下には年頃の普通の少年がいたのだ。人を外見で判断することの誤りを、サムは教えてくれたと思う。そして力強く生きるということの意味を。
 サムの物語は《ジ・オレゴニアン》に掲載され、2001年ピュリツァー賞を受賞。この本は、その連載から生まれたものである。



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