「悪いことからいいことが生まれる。さあ、ここまで来た目的を済ませてしまおう」
          「サフラン・キッチン」ヤスミン・クラウザー(小竹由美子訳) 新潮社


 物語は、ロンドンの橋の上で、幼い命が失われていくところからはじまる。
 「わたし」、サラはイラン人の母マリアムと、イギリス人の父エドワードの間に生まれた。母はときどき、こころがイギリスにないような顔をして、突然庭に出て行ってしまうようなことのある不思議な人だ。ときどき、イランへ里帰りをするが、ふるさとについてサラに多くを語ったことはない。けれどその日、サラのお腹の中から赤ん坊が失われたことに自責の念を感じた母マリアムが、イランに姿を消してしまったことで、サラは母の記憶、母の思い出のイランへの理解に一歩踏み出すこととなる。
 一方、逃げるようにして娘から、そして優しい夫から離れてイランにやっていたマリアムは、つらく悲しい少女時代、封印してきたはずの過去と向かい合っていた。将軍の腹心の部下として権力を持っていた父と、女の身でありながら、その父の心を強く受け継いだマリアムは、イランの閉鎖的な社会では生き続けることが難しかった。自立を望む心を押さえつけられ、そして思いもかけない出来事により家族から追放され、恋人と引き裂かれたマリアム。
 物語は、サラとマリアムを交互に語ることで進行する。穏やかで優しいイギリス人の夫と、サフランのように赤い大地にいまもひとりで住むかつての恋人。引き裂かれる想いの果てに、マリアムはどちらを選ぶのか。娘として、そして女として、サラは揺れる母と向かい合う。
 イギリスとイランという、まったく異なった風土の街並みが、色彩や匂いによっていきいきと描かれている。どんなに長く暮らしても、異国は故郷ではないのか。マリアムを理解し、待ちつづけるエドワードの姿もよい。しみじみとした作品。




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