「清田はスプーンを曲げるだけの自分の存在価値に葛藤しているんですよ」
         
 「職業欄はエスパー」 森達也  角川文庫

 表紙には奇妙に捻じ曲がったスプーン。そして、この題。これは八年の長きに渡って、「超能力者」としてかつては一世を風靡した三人の男たちを追った、ひとつのノンフィクションである。もともとは深夜枠のドキュメンタリー番組を撮ることを目的として出会った、その出会いから、ノンフィクション原稿をあげるまでのすべてを書いたものなので、途中で相手がカメラを意識したシーンももちろん出てくる。
 UFOを呼び、宇宙人と出会う秋山、ダウジングの堤。彼らももちろんそれぞれに魅力的だが、おそらく筆者がいちばん気にかけ、惹かれ、やむにやまれぬような気持ちで追いかけたのはスプーン曲げの清田である。清田の話しぶりは乱暴だ。いっけん、粗暴でわがままなようにも見える。しかし、その中に隠された繊細なものに気づいたとき、やはり読み手のわたしもまた、清田には惹かれずにはいられない。幼い少年が、スプーン曲げができる、そのことでTVのアイドルタレント並に追いかけられ、持ち上げられ、しかし、それが「うさんくさい」ものであるが故に、思いもかけないバッシングも受けなければならない。同じ媒体によって持ち上げられ辱められる。そんな中で必死に生きようとした姿が見えてくる。
 彼らが森達也というひとりの人間を信用し語る物語の中には、森自身が信じかねるものも確かにある。しかし、信じる信じないというレベルではなく、彼らがいかにして生きてきたのか――この本は、それを描くためにあったのではないかと思う。彼らは彼らなりに真摯に生きている。イカサマをしたことも認める。けれど、ひとつのイカサマですべてを否定されるのは誤りだ、と。そんな彼らを、一面だけで中傷しつづける大槻義彦の人間性を、筆者は疑わざるをえなかっただろう。実際、読んでいるこちらも、大槻の言動には苛立たされることこの上なかった。自分の目で見、その上で信じない、というのならばいい。見たことのないものを信じたり、信じなかったりすることは愚かだ。ましてや、学者が出演料が稼げ、名を売ることのできるTV以外では実験を行わないなど、本末転倒もはなはだしい。
 そして、思い出す。あれは、わたしがまだ大学生で、塾の講師をしていたころだ。選抜クラスの女の子がスプーン曲げをしてくれた。しかも、この本でもかなり高度とされているようなやりかたで。彼女はいま、どんな風にして生きているだろう。しあわせに……と願ってやまない。



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