貪欲な亡者め、わたしは叫んだ。それを聞いて亡者が言った。
「それは誰のことか。おれか、それともおまえの仲間か」
          
  「ぬかるんでから」 佐藤哲也  文藝春秋

 ある晩、巨大な津波が世界を襲い、高台に逃れた「わたし」と妻、その他の人々はすべてが終わった後、地平とも水平ともつかぬぬかるみが果てしなく続く世界に取り残されたことを知る。生き延びた者は二派に分かれた。共有を要求する者は多数を占め、生存の平等を主張した。私有を要求する者は少数となり、生存の権利を主張した。だがそれも、より多くの命を少しだけ延ばすに過ぎないことは自明のことだった。誰もが飢えと乾きに苦しみ、幼いものの命が失われていく。そんな中、わたしの妻だけは水も食べ物も口にしようとはせず、しかしその肌には張りと艶があった。その奇跡に嫉妬し、石を投げようとする者から、わたしは妻を守った。
 そして二十日目、泥の中から亡者が現れ、自分は未来からの使者なのだと告げる。そして亡者は食料や水を与えよう、といった。妻の美しい歯や指、目と引き換えに。そして人々の要求は際限なく、妻の身体は少しずつ損なわれていく――
 短編集。表題作「ぬかるんでから」を、わたしはどこか別のところでも読んだことがあった。そのときもじゅうぶん衝撃を受けたが、こうしていくつかの作品を連続で読むと、佐藤哲也という作家には圧倒されるものが大きい。「春の訪れ」のように、不可思議な妻の言動を扱ったものや「やもりのかば」などのように成人男性が主人公となっているものもそうだが、「墓地中の道」「夏の軍隊」等に見られる、少年を主人公としたものの方が、もっと何か、世界の不条理というものが前面に出ているように感じる。少年の眼から見れば大人の行動は筋が通っているようでいて滅茶苦茶で、それでいてそれに従わねばならない。弱い者である子どもの立場に甘んじねばならないという苦痛もある。恐怖と、それを恐怖だと感じる自分への嫌悪感。
 とりあえず、説明は難しい。読んでもらうのが一番だろう。オススメです。



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