僕も友人も<猫><舌><男>は読めたが、<爵>という真っ黒い文字がわからなかった。二人でカンワ辞典で調べ、<男爵>が男爵を意味することを理解した。
 おお、『もんてくりすと伯爵』のような波乱万丈の物語であろう。ということは、ヤマダ・フタロのような、驚天動地の物語であるに違いない。
              
 「猫舌男爵」(「猫舌男爵」所収)皆川博子 講談社

 本書はハリガヴォ・ナミコの短編集『猫舌男爵』の全訳である。

 という、やん・じぇろむすきの「訳者あとがき」から始まる。
 しかし、この訳者あとがき、ハリガヴォ・ナミコ(後に「針ケ尾奈美子」という作家だということがわかる)の作品についてというより、自分がいかににして日本語を学び始め、どれだけ苦労したか……ということに大部分が費やされている。
 彼が大学で、きわめて少人数の日本文学ぜみなーるに参加するようになったのは、ヤマダ・フタロの「THE NOTEBOOK OF KOHGA’S NIMPO」との出会いがあったからである。彼は英語なら、かなり難解なものも読めるのだ。ぜみなーるで扱っている、シガ・ナオヤの「少年召使の神」や「セイベとヒョタン」はきわめて退屈だが、ヤマダ・フタロはすばらしい。彼はいつか、日本語に精通してヤマダ・フタロを読みまくりたいと願っている。
 たとえば彼は、ヤマダ・フタロの著作表を眺めてこんなことを思う……

“THE NOTEBOOK OF KUNOICHI’S NIMPO”というのは、「コーガ」「イガ」と同じく、「クノイチ」という土地に住むニンジャ集団であろうが、クは、9、イチは1を意味する。二分の一を日本では「ニブンノイチ」と表現する。だから、もしかしたら、9ノ1は、九分の一の意であって、身長が常人の九分の一しかない矮人ニンジャ集団が巨人集団を相手に、ニンポを駆使し、活躍する話かもしれない。

 さて。このようにかなり怪しい日本語力で、とりあえず訳本を出した彼のもと送られてきたさまざまな手紙。論理学の教授からは、彼の散漫な文章を批判する手紙が送られてくるし、日本語を訳した人ならわかるだろうと、送られてきた日本人からの手紙はさっぱりわからない。そして、日本文学の教授は彼のあとがきのせいで家庭の危機に直面する――いったい、この波紋はどのような収まりをつけるのか。
 短編集。
 とにかく、この表題作「猫舌男爵」がよい。
 山羊に足の裏を舐めさせるという拷問があるように、猫の舌に舐めさせる拷問があるのだろうか、などという考察には思わず吹き出さずにはいられない。
 他に、斬新な手法を用いて書かれた「睡蓮」等、読み応えのある作品集となっている。時間のない方は、ぜひ「猫舌男爵」だけでも。山田風太郎ファンも必見。



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