あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれない――そう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真の価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。
           
    「日の名残り」 カズオ・イシグロ(土屋政雄訳) 中央公論社

 ダーリントン・ホールの執事、スティーブンスは、現在の主人であるアメリカ人ファラディ様の許しを得て、数日間の休みをいただくことになった。ダーリントン・ホールでの生活が不満足なわけではない――けれど、スティーブンスには西部地方に旅をしたいちょっとした理由があったのだ。それはかつてダーリントン・ホールで女中頭をしていたミス・ケントンにあった。もし、彼女が手紙に書いているようにダーリントン・ホールに戻ってきたいのであれば……人手不足の折、ファラディ様にとっても願ってもないことなのではないか?
 そこで、西部地方への旅をしながら、おりおり振り返る、かつての活気あるダーリントン・ホールの日々。かつては二十人に近い召使たちがダーリントン卿のために働いていた。国を左右する話し合いが行われたことさえあった。「わたし」、スティーブンスは執事として影の役割に徹していたが、それは決してただただ屋敷の中を整え、銀器を磨くだけではなかったのだ。私の感情を抑え、職務に徹した日々。それは振り返ってみれば、父の死に付き添うことができず、大切な人を慰めることのできなかった日々である。だが、振り返っていま思うことは……?
 直接的な言葉はない。だが、胸がはりさけるほどに切ない想いが切々と伝わってくる、そんな作品。イギリスの貴族の屋敷も、いまやアメリカ人のものである。時代の流れの中で、執事としての「品格」について思いを凝らすスティーブンスの姿がなんともいえず、胸に迫る。生活のために働くのか、働くために働くのか。スティーブンスの問いの中には己の生活を振り返らせる何かがある。そして、物語の最後のほうで、ミス・ケントンに微笑むスティーブンスに思わず涙してしまうのである。ブッカー賞受賞作。胸に残る佳品である。



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