「苦しいのは体のことじゃなくってよ。二年間のあいだにあたしはやっとわかったわ。苦しいのは……誰からも愛されぬことに耐えることよ」
          
「わたしが・棄てた・女」 遠藤周作 講談社

 戦争が終わって三年後、うらぶれた下宿に住む大学生の吉岡は、(ゼニコがほしい、オナゴがほしい)と呟く生活の中、古雑誌の投稿ページに葉書を送る馬鹿な女だっていい、という考えからひとりの女の子をひっかける。誤字だらけの手紙を寄越したその女の子は森田ミツ。田舎娘か小学生のように髪を三つあみにし、小太りで背の低い彼女を、自己嫌悪とともに吉岡は抱く。けれど、それきり吉岡が忘れようとし、思い出そうともしなかった森田ミツ……どこにでもいそうな、無知な田舎娘。彼女はほんとうにそれだけの人物だったろうか? 曲がりなりにも大学を卒業し、サラリーマンになった吉岡。それに対してミツは他人への同情が過ぎて、どんどん身を落としていくことになる。酒場へ、トルコ風呂へと。けれど、吉岡よりミツのほうが劣っていると、そういうことができるだろうか?
 第一章のはじめ、吉岡がミツのことを語り始めるときは、このように始まっている。
「理想の女というものが現代にあるとはだれも信じないが、ぼくは今あの女を聖女だと思っている……」と。
 ミツがなぜ吉岡をして「聖女」と呼ばれるほどの女性になるのか。「理想の女性」だということになるのか。それはミツがある日、ハンセン氏病の診断を受けた日から始まる。ただし、これはありきたりの闘病生活を描いたものではない、ということだけは記しておく。ミツの運命の流れはぜひ、自分で読み、確かめてもらいたい。
 わたしにとって、この本はいつしか生活の中に入り込み、苦しいとき、くじけたときに思わずページを繰ってしまう、そんな一冊である。
 この中でミツが入院する御殿場のらい病院。わたしの母は、この後身である結核病棟(サナトリウム)で青春期を過ごした。母がときどき思い出したように語るシスターの姿と、この本の中のシスターやミツが重なるときがある。そしてまた、わたしは数年前、アトピー性皮膚炎の治療で使っていたステロイドを断ったとき、そのリバウンドで想像もつかないほどに顔が歪み、皮膚がただれ、それこそ死ぬような思いをした。二度と立ち直れないのではないかと思ったとき、いまここで冒頭に掲げた言葉が胸に響いた。「苦しいのは……」と。そしてまた、病棟の中でミツにかけられる励ましの言葉、
「あたしは今、自分が見すてられた場所にいるとは思わないわ。普通の世間とは次元のちがった世界に来たのだと考えているの。普通の世界の悦びや幸福はここでは拒絶されているけれども……」
 この言葉にも、どれだけすがったことか。ひとはどん底の苦しみの中でも、ふつうの人とは別種の喜び、幸福を見つけることができる。この本はそんなことも教えてくれる。
「ここにわたしはいたのよ」といってこの本をすすめてくれた母に、感謝する。



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