永遠に存在しつづけるものなどないのです、マシューズ首席司祭様、ぼくは西のドアを入って暗がりをのぞきこんだあの最初の日から、そのことを知っておりましたが、それでも、これはかなりつらいことです。
          
「見張り」(「わが愛しき娘たちよ」所収) コニー・ウィリス(大森望他訳)  ハヤカワ文庫

 短編集「わが愛しき娘たちよ」の表題作をSFマガジン誌上で読んだときのことはいまでもおぼえている。この作品は発表当時、スキャンダラスといっていいほどのヒステリックな事態を引き起こしたことで知られている作品であり、そういう評判とともに読んだからかもしれないのだが。性と生殖とが切り離された寄宿舎惑星。蓮っ葉ですれた口をきくタヴィの一人称で物語は進む。ほとんどが愚痴と八つ当たりと下品なことばの羅列のような文章で、新入りのダサいルームメイトのことや、夏休み明けに男の子たちがいっせいに禁欲していることや、なんだか妙なことが続く日々が描かれる。男の子たちが可愛がっているペット、テッセル。気色悪いちっちゃな茶色の顔をした動物――男の子たちは、それを可愛がりながら、「パパのとこにおいで」と呟いている。男の子たちは、いったいそのペットを何に使っているのか。そして、残酷な真実が明らかになる瞬間のおぞましさ。この作品に関しては反響、反論、反応がさまざまあったそうだが、それを列挙することはやめておく。解説にあるように、真っ白な状態で向かい合うことがよいと思われるからだ。
 さて、そんな表題作ばかりが記憶に残っていて、今回読み直して、いきなり「見張り」が「ドゥームズデイ・ブック」の、時間的には後の物語であることに愕然としてしまった。物忘れというのは恐ろしいものである。短編であるが故によりいっそう「ドゥームズデイ・ブック」にもあった、歴史は統計ではなく、過去の人々が織り上げた生きた現実、人々そのものである、ということが表面に出ている。中世から帰還して、胸に大きなものを抱えたキヴリンも登場。もちろん、ダンワージィ先生(今回は表記がやや違うが)も健在。「ドゥームズデイ・ブック」が気に入られたら、こちらもぜひ、読んでいただきたい。



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