「生きて、帰って、あいつを嫁にもらったら、ガキを作るんだ。俺がこの先できることなんて、もう、知れてっから、ガキどもは、みんな中学に行かせて、高等学校も、大学も行かせて、俺がやりたかったことを、みんな、やってもらうんだ」
              
 「地下鉄(メトロ)に乗って」 浅田次郎 講談社

 ふと思いついて出席した同窓会。落ちぶれた自分の姿の惨めさを噛みしめる帰り道、永田町の地下鉄の階段を上ると、そこは三十年前の風景だった。自分自身がまだ限りない可能性を抱いていた時代、そして、優秀だった兄が自殺した年――運命を変えることは出来るのか。傲慢な父親に反発し自殺してしまった兄を救うことは出来るのだろうか。……しかし、この話は兄の自殺を食い止める、そういう物語ではない。なぜならその後も主人公、小沼真次はさらに時代を遡るからだ。戦後から戦時中、戦前へと遡る中で必ず出会う青年。人をひきつけてやまぬ魅力を持った彼が、自分の父、小沼佐吉であることを知ったとき、真次の胸にあふれたもの。父が語る夢を聞き、未来の子どもに託した願いを耳にして、真次が彼のために万歳三唱するとき、思わず胸が熱くなる。親を理解することは、かくも難しいものなのだ。そしてそのことが、兄の自殺を解く鍵にもつながっていく。
 一方で真次の愛人であるみち子もまた、不思議ななりゆきで時代を遡る。ときには真次とともに、または独りでも。ふたりが、幼い佐吉少年、折れそうに白いうなじをして、健気に親孝行をすると口にする少年と出会ったときのシーンもまた感動的である。
 戦争という大きな流れの中で成長した少年が、いつしか人のこころを知らないといわれる人間になってゆく。崩壊した家族では病床を看取るものなく、独りで死んでいこうとしている彼。その生き方を理解することは、自分の生き方を知ることにもなっていく。子どもとして親を理解すること。病床を見舞うことこそないが、否定しようのない血のつながりを自覚したとき、そこにあるのは嫌悪よりもむしろ決意のようなものだ。そして、また、この話にはもうひとつの謎が隠されている。なぜ、みち子も時代を遡ることができるのか。愛する人のためにできること。最後のみち子の選択を是とするか非とするか――つきつけられたものは、重い。



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