「信じられない。こんな馬鹿げた、浮世離れしたことを本気でやる連中がいるなんて」
 満は半分あきれ、半分恐怖を覚えながら首を左右に振っていた。
「いるのよ、ここに。じゃあ、正式に要請しましょう。あんたは、この人里離れた山奥の聖地で、安楽椅子探偵をやるために呼ばれたの。これでよろしいかしら?」
           
     「MAZE」 恩田陸 双葉文庫

 アジアの西の果てに、それはあった。人工物なのか自然の造形によるものなのか。直方体をした白っぽい建物。窓も柱もない、のっぺりとした白い壁の建物。だが、そこでは「存在しない場所」「有り得ぬ場所」といわれ、何人もの人々が姿を消していたのだ。羊飼いの少年や、兵士たち、学術研究に来た学者。そしていま、そこに招かれた時枝満がいた。外資系の製薬会社に勤務するかつての同級生、神原恵弥に依頼され、ここで安楽椅子探偵をするために……
 恵弥自身は兵士たちや他のメンバーと一緒になって、「豆腐」と呼ぶこの白い建物に関するなんらかの実質的な調査をしているらしいが、満にはその具体的なことはわからない。彼に与えられたのはただ、7日間という時間のうちに、「豆腐」で人が消える謎を解く……と、それだけなのだ。何かを隠しているらしい恵弥。だがいったい何を? 
 謎はでかいのだが(なにせのべ300人以上もの人間消失)、満がやっていることといえば、アジアの西の果てで朝晩の食事を作り、一日謎に取り組み、晩飯を食いながら仮説を語る……ということなので、基本的にはこれは恩田陸のおしゃべり小説の一形態といっていいだろう。とはいえ、神原恵弥という30半ばで仕事の出来そうな男の外見でありながら喋り言葉は完全に女(しかもスヌーピーのパジャマを着て寝る)、という意外性をもった人物のおもしろさは格別。彼がなぜ女言葉でしゃべるか、という理由を語る部分には、日本社会における男性、女性のそれぞれの生きにくさ、生きやすさといったものも見えてきて、なかなか深いものがある。



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