「人間てものは、人間と人間といっしょにくらしていてもさびしいもんだから、しょうがねえなあ。はやくあきらめてしまって、雲や小鳥や星たちとなかよしになっているほうが、いくらかましかもしれねえ」
               
「星の牧場」 庄野英二 角川文庫

 戦争中にうけたショックとマラリヤの熱で、記憶をすっかり失ってしまったモミイチ。じぶんの名前と、じぶんのそだった牧場のある場所はおぼえていたので、とにかくふるさとの村の山の上の牧場に帰りついてきた彼を、牧場のひとたちはぶじにかえったことはめでたいとよろこんでくれる。いろいろのことは忘れてしまっていても、にこにこと笑い、よく働くモミイチをみんなは自然に受け入れていたが、ある日、モミイチは戦争中に自分の持ち馬だったツキスミの足音がきこえる、といいだす。仕事が忙しいときには聞こえないけれど、ひまになるときこえてくる馬の蹄の音。
 ある日、山に炭やきの木を切りにいったモミイチは、馬の蹄の音を追いかけて山の中に入りこみ、音楽好きなジプシーたちと出会う。だれもが、かつて戦争中に会ったことのあるような気のする人々である。うつくしい山の中で森や川や小鳥やたき火や歌や音楽を愛し、自由気ままにくらしている人々。クラリネットやヴァイオリン、コントラバスやチェロといった楽器を愛し、近づく夏のバザールのために練習をしている彼ら。モミイチは美しい音色の鈴を作ってオーケストラの仲間に入れてもらう。ニジ色のミネラルを飲み、壮大なホラ話をする彼らのもとで、モミイチははじめてやすらぎ、忘れていたことを思い出してくる……。
 ふしぎな話だ。とくにラストをどう表現していいのかわからない。ラストの解釈次第で、この話全体の印象ががらっと変わってくると思われるからだ。……と、そう思って後ろの解説を読んでいたら、こんな文章があった。
「この一冊には、私に対して問題を投げかけてくるような要素はいろいろあるし、また、文章上の私の迷いを解決してくれる鍵が実にたくさんある」(串田孫一)
 読み返し、その度に印象の変わってくる本だともいえる。ぜひ、気分の違うときに、年齢の異なるときに、何度か繰り返し読んでもらいたい。




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