「もしだれかがほんとに残酷な悪者だったとしたら、いいひとたちだって、そいつが思うぞんぶん悪いことをするのをとめるわけにはいかないこともあるってことだよ。ときにはそういうことも起こるってことなんだ」
        
「消えた少年たち」 オースン・スコット・カード(小尾芙佐訳) 早川書房

 これは不思議なお話だ。いったい、どんな話なのか見当がつかないまま、ただなんとなく語り口の妙と会話などにつられて読み進んでしまう。
 中心になるのはフレッチャー一家。父親のステップの職探しのために流れ着いた町で、新しい生活になじもうと苦労する家族。彼らは互いにとても正直で、生活そのものを楽しむ姿勢を崩さないが、ステップの職場には足を引っ張ろうとする上司、天才だが性癖のおかしい青年、などなど謎めいた人物も多い。しかも、長男のスティーヴィはどうやら学校で教師からいじめられているらしく、内向的になり空想の友だちをつくり始めてしまったようだ。父親であるステップにはあまりにもしなければならないことが多い――そして生まれてきたジェレミーの重い障害。
 ひとつひとつのエピソードが非常に細かく密に描かれている。そのため、ある一家の生々しい現実、というものを描いた話のようにも読めるこの物語は、しかし、スティーヴィの「空想の友だち」が、連続殺人事件の犠牲者と同じ名前をもっていることに母親であるディアンヌが気づいたとき、一変する。スティーヴィはなぜ彼らの名前を知ることができたのか。友だちを必死に守ろうとするわが子に、両親はなにができるのか。
 子どもたちがつねに守られ、安全であるなどというのは幻想だ。けれど、上の台詞のあと、ステップはつづけてこういう。
「これだけははっきり言っておこう――だれかがきみや他の子供たちやきみのお母さんに手出しができるのは、パパが死んじゃったときだけだよ。それは約束する」
 この言葉どおり、ステップは息子をいじめる女性教師に立ち向かった。しかし、逆らえない残酷な運命というものもあるのだ。ジェレミーの障害、そして最後の最後の残酷な出来事――を受け入れようとする家族の姿は痛々しくも力強く美しい。クリスマス・イブの奇跡に涙せずにはいられない。


 この物語は最初、短編として発表された。そのときの主人公は「オースン・スコット・カード」という作家だった。そのためにいらぬ非難も浴びたようだが、それはなにより、描写の細かさ、感情の揺れを描く緻密さ、そのために読者に与える「現実感」に拠ったものだと思われる。機会があれば、そちらもぜひ一度読んでもらいたいものである。



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