「いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。理解してもいないくせに愛しているふりをする。それじゃなんにもならない」
        
 「リトル・トリー」フォレスト・カーター(和田穹男訳) めるくまーる

 父が死んでから一年後、母も死んだ。そのためぼくは祖父母と暮らすことになった。ぼくは五歳だった。
 このような書き出しからはじまる「リトル・トリー」は、チェロキー(アパラチア山脈南端に住んでいた森林インディアン)の血をひく祖父母と幼い少年の山の暮らしを描いた作品だ。のちに、この少年を育てる権利も能力もないといわれてしまうこのチェロキーの祖父母であるが、彼らの生活は素朴でありながら豊かで愛情にあふれている。必要なだけしか獲らない、というおきてにしたがっている彼らの生活は、いまの必要ないものにまで囲まれているわたしたちの生活と比べれば物質的にはたしかに貧しいのかもしれない。しかしそのこころの落ちつき、平安、互いを理解し愛しあうこころはどんなものにもかえがたいものだ。
 いくつかの短い話から成り立っているので、読みやすいと思う。わたしは中でもウィロー・ジョーンの話が大好きだ。ぽっかりとあいた傷口を思わせる目をしたウィロー・ジョーン。命を失ったうつろな、むきだしの傷口を思わせる目をした彼に、リトル・トリーがプレゼントをしようと決めたときに事件は起こる。この事件がどんなものだったかは読んでもらうとして……わたしは何度も繰り返して読み、そのたびに涙がとまらなかった。
 自然に抱かれて育つ子どものうつくしさ。惜しみなく与えられる愛情のぬくもり。長い年月を生きてきたものの誇りと強さ。さまざまなことを考えさせてくれる佳品である。




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