心の底から怒りがこみあげた。熱湯のような怒りが瞬時に押し寄せ、抑えるひまもなかった。
           
    「蜘蛛の誘い」 T・J・マクレガー(古賀弥生訳) 創元推理文庫

 午前零時。降りしきる雨の中、車を走らせていた弁護士のフランク・ベネディクトは、うまくいかなかった交渉のことを思い出し、過剰なストレスに耐えていた。これまでの精一杯の努力が報われないかもしれないという悪しき予感。それが引き起こすであろう閉ざされた将来への陰鬱な感情。そのとき、目の前に黒っぽい車が飛び出してきて、ベネディクトは自分の行く手、自分の将来に立ちふさがる相手への怒りを爆発させ、アクセルを踏み込んで自分の車を追突させる。正面から一回。バックでもう一度。
 その事故で夫とお腹の中の子どもを失ったのは、FBI捜査官のチャーリーだった。彼女は仲間の助けを借りながら、彼女からすべてを奪った一夜にその車を運転していた男を追いつめてゆく。一方、仕事の上でも追いつめられ、事故のことでも追いつめられたベネディクトは、さらなる犯行を繰り返す。
 ごく普通の男が、あるひとつの事件をきっかけに狂ってゆく。少しばかり短気、少し怒りっぽい、ただそれだけだったはずなのに。ストレスが殺人鬼を生み出したというと大袈裟かもしれないが、実際にベネディクトの身に起こったことは、そうとしかいいようがない。
 一方で、臨死体験によって不思議な第六感を手にしたチャーリーや、それ以前に事故によって奇妙な力を得たというダグ・ローガンなど、捜査に関わる面々の能力や個性も独特。ある意味ではSFミステリといえるのか? 捜査官と犯人の息詰まるやりとりなど、見所もたくさん。安心して読めるミステリである。



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