「待ってください。あなたはぼくと彼が同一だと言いつづけている。でも、そうじゃない」
             
 「ケルベロス第五の首」ジーン・ウルフ(柳下毅一郎訳) 国書刊行会

 地球から遠く離れた宇宙にある双子惑星のサント・クロア、サント・アンヌ。かつてその惑星に住んでいた原住民たちは植民した人類によって絶滅させられたと言い伝えられていた。しかし、異端の説によれば、原住民には完璧な模倣能力があり、現在人類とされる人々は実際には地球からの移民者たちを殺害して入れ替わったサント・アンヌの原住民たちなのだが、その変身があまりにも見事だったために、原住民たちは自分たちの過去を忘れ、変身能力さえ失ってしまったのだという。
 物語は、サント・クロアの大きな館に住む少年が語る「ケルベロス第五の首」、その少年の館を訪ねてきた人類学者マーシュ博士が採取した民話「ある物語」、のちに逮捕されたマーシュ博士の尋問録を読みすすめる士官が順不同にとりあげるマーシュのメモや録音テープからなる「V・R・T」の三つの中篇から成っている。少年の目から見た世界は狭くぼんやりとしており、彼自身の生活さえ輪郭は曖昧だ。マーシュが採取した民話もまた、あまりにも寓話的な部分が多くて、世界ははっきりとしない。だが少しずつ明らかになってくる人々や生活の姿によって、改めて突きつけられるのは、ではここにいるのは人類か、それともサント・アンヌ人か? という問いである。物語はその部分がおそろしいまでに曖昧だが、些細な部分の描写には深い恐怖のようなものが潜む。
 模倣能力が完璧なために、完璧に人類を模倣すれば模倣能力そのものを失ってしまう、というのは魅力的な設定である。ジーン・ウルフの筆力もあって、かなり深みのあるSFに仕上がっているといっていいだろう。そもそもこの物語は、クローンや一卵性双生児、コンピュータにシュミレートされた脳といった「複製」と向かい合うことによって、自分と相手のどちらが本物なのか、自分の存在意義は何かといったものを常に考えさせられている登場人物の問いから成り立っている。わたしとは? というのは普遍的な問いであり、その意味では単なるSFに終わらない重みがある。
 ……が、しかし。すみません、火浦功の「銀河芸人伝説」(「たたかう天気予報」所収)に出てくる究極のものまね芸人、スワンプ人を思い出してしまいました……完璧なものまねをするのはいいのだが、まねた結果、変身能力を失って絶滅の危機に瀕しているという……。同じネタが喜劇にも悲劇にもなるという意味では、「ケルベロス…」を読んだ人にはぜひ「銀河芸人伝説」もオススメしたい。



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