みちたりている、と思う。寂寥感がしずかにゆうを包む。いるべき場所にいる。だからこそ、生の寂しさを明晰に意識するのだろう。
                   
「恋紅」 皆川博子 新潮文庫

 吉原の半籬「笹屋」の愛娘ゆうは、雑踏で迷子になり、垢離場にかかる見世物小屋のひとつで、芝居役者に助けられる。五年後、市村座の芝居を見に行ったゆうは、そこで彼女を助けてくれた役者と再会した。垢離場では、本芝居の筋、役者の動きを真似た芝居を行っており、彼は市村座に芝居を盗みにきていたのだ。荒削りで、本家の芝居とは別の力に溢れた彼らの芝居、そしてゆうを助けてくれた福之助自身に、ゆうは無心にすがり付いてゆく。それは吉原の遊女屋の娘として、華やかさの裏にひそむ哀しみやせつなさを知ってしまったからこその情念だったのかもしれなかった。顔を傷つけられ、花魁から切見世に流れていった女がいた。ゆうの代わり、大人たちの代わりに、殺されてしまった子どもがいた。この物語は幕末から明治にかけての動乱の時代に、「お嬢さん」からひとりの女に姿を変えるゆうの半生である。
 登場人物ひとりひとりが力強く描かれているだけでなく、ここでは、脱疽のために手足を順に失いながらも舞台に立ち続ける沢村田之助が時間軸としても描かれている。田之助自身が語り、動くことはほとんどないのだが、ひそかに彼を仰ぎ、対峙しようとしている福之助、その福之助を見つめるゆうの目を通して、田之助の存在感も大きい。
 実は、生まれて初めて読んだ皆川博子がこの「恋紅」だった。高校生のわたしにとって、おとなしいお嬢さんだったゆうが、福之助に抱かれた翌朝、自分で眉を落とし、歯を染める場面は強烈な印象だった。筆致の確かさと、そのところどころにさしはさまれる幻惑的なシーンに惹かれて次々に読んだのは、だから皆川博子の芸能ものばかりだったのだが――いまいろいろと読んでみると、この人ってほんとに幅が広い作家で、それぞれに深い造詣を持っているのだと思う。
 直木賞受賞作品。最近の皆川博子(ドイツものとか)しか読んだことのない人も、たまにはこういう雰囲気のものを読んでみると、また新たな皆川博子の魅力に触れることができると思う。オススメ。




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