「そう、うれしいわ。でも先生はこのこっきが少しほしいのね。なぜって、このこっきは、この組のだいじなこっきでしょ」
 するとダニーがいった。「はさみがあれば、先生に切ってあげるよ」
       
 「23分間の奇跡」 ジェームズ・クラベル(青島幸男訳) 集英社文庫

 九時二分前。先生が泣いている。今日から新しい先生がやってくるのだ。お払い箱になった以前の先生は恐くてふるえていて、子どもたちもまた、その恐怖がのりうつってふるえている。
 けれど、九時。新しくやってきたのは若くい女の先生だ。香水のいい匂いがするその先生は、床の上に座って歌をうたってくれる。前の先生は間違えてばかりいたのに、この先生はクラス全員の名前をちゃんと覚えてきて、誕生日まであててくれる。そして、新しい先生はみんなが朝礼のときにする「こっきにちゅうせいをちかう……」ということを、それはなに? という。
「ちかう……ってなんのこと?」「ちゅうせい……ってなんのこと?」
 そして答えられない生徒たちに、「いみもわからないのに、むずかしいことばをつかったりするのは、よくないわ」「いままでの先生は、そのいみを教えてくれなかったの?」
 この先生は生徒たちの心をつかむ術に、なんと長けていることか。子どもたちはあっという間に新しい先生のとりこになり、最後までだまされないぞと思っているジョニーさえ、九時23分にはすっかり先生の思いどおりになっている。
 ひとつの国が敗れ、占領され、新しい教師による洗脳がはじまる瞬間を描いたこの作品は、教育のもつ意味、教師によって子どもたちの心理がいかに誘導されやすいかを描いたものでもある。
 これを読んだ何人もの中学生が、「この新しい先生はすばらしい」という感想を口にしたことを付け加えておこう。生徒の中にはこれを信じるものが、やはりいるのだ。


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