ジョニーはなぜだかわからないが、自分みたいに運のいいやつはちょっといないんじゃないかと思った。
       
   「ゆがめられた記憶」 マーガレット・マーヒー(清水真砂子訳) 岩波書店

 意識を失うほど酒を飲みながらも、どうしても過去のことを確かめたくてボニー・ベネディッタに会いに行ったジョニー。けれど、酔っぱらっているジョニーをボニーの母親は冷たくあしらい、ボニーの転居先さえ教えてくれようとしない。ジョニーはただ、五年前のある日、死んでしまった姉……ジェイニーンが死んでしまった日のことを、ボニーにたずねたいだけなのに。歪んだ記憶をもち、みずからが信じられないジョニー。大好きだったタップダンスさえジェイニーンの死とともに失ってしまい、いまのジョニーは自分がなんなのか、だれなのかさえ曖昧なままだ。ふたりのうちどちらかが死ぬのならば、きみのほうがいなくなればよかった……そんな言葉の呪縛から、逃れようもなくて。けれど、ボニーの家から放り出されたジョニーはそこで出会った老女、ソフィーのおかげで(せいで?)、徐々に「生活」そのものを取り戻してゆくことになる。ジョニーのことを誰かと間違えているらしいソフィー、自分の身の回りのことさえじゅうぶんには始末できず、腐りかけのクッキーやキャットフードさえ口に入れてしまう彼女。首に下げている鍵のことを忘れて家に入ることもできずに泣き出すソフィー。隣の家が牛乳を盗んでいくから取り返してくるんだといって、実際には隣の家の牛乳を盗んでいるソフィー。なんでこんなことをしているんだろう、と自問自答しながら、ジョニーはいつのまにかソフィーの台所を片付け、買い物をし、ソフィーを風呂に入れて着替えさせるようになっていく。
 ここにあるのは過去の記憶、自分でも信じられないその記憶にとらわれて身動きが取れなくなった青年と、幸福な過去の記憶の中だけに生き、現在を失いつつある老女とのやさしい心の交流でもある。老人介護や福祉についても考えさせてくれる一冊。



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