あの塔は、あのお城と、この丘を見張るためのものだったに違いない。
           
  「きのうの世界」 恩田陸  講談社

 塔と水路の町と呼ばれる、さほど大きくもない町で、ひとりの青年が殺された。水無月橋殺人事件と呼ばれるその事件には、数々の謎があった。中でも一番大きな謎は、偽名を名乗って生活していたその被害者が、ある晩上司の送別会から忽然と姿を消し、一年あまりもこの町で暮らしていたという事実だった。彼は何を考え、何を思って暮らしていたのか? 東京からこの町に来なければならなかった理由とは何か? 見たものをカメラのように記憶できるという不思議な能力を持っていたという彼、市川吾郎の謎を追いつつ、物語は、その町に住む人々の思いや、町そのものの謎を明らかにしてゆく。
 「あなた」という二人称で書かれる人物が、市川吾郎の殺人事件を追うという形式をとってはいるが、殺人事件に絡む人々を描き出すうちに、実は「あなた」が誰かも明らかになってゆく。謎に謎が絡みつき、登場人物の誰もがあやしげに見えるあたり、恩田陸の真骨頂ではある。が、しかし。
 またやってくれましたよ、恩田陸。盛り上げるだけ盛り上げておいて、最後がこれか……と嘆息してしまうような。
 直木賞候補作。でも、彼女はこの後味の悪さを何とかしない限り、いろんな賞の「候補作」にはなって、賞そのものは取れないんじゃないかと思う。途中までこんなにおもしろいんだから、ぜひ、最後までそのおもしろさを継続させてもらいたいものだ。密室ミステリで「実は犯人はテレポーテーションができたのです!」みたいなギャグオチと、ほとんど似たような感覚を抱いてしまうのだ、この人のオチは。嫌いじゃないだけに…もどかしい。



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