もちろん心配がないわけではない。
           
 「化身」 宮ノ川顕  角川書店

 安月給にげんなりし、無理なノルマにもうんざりして、適当な理由をつけて休暇をとると、飛行機に飛び乗った。空港の駐車場でつぶれた甲虫を見て少年時代の夢がよみがえり、ホテルに入ることもなく、そのまま密林へと分け入った。そして……南の島の密林のど真ん中、誰一人、彼がそこにいるとは思いもよらないだろう場所で、彼は池に落ちた。
これは天罰か、それとも偶然か。とりあえずは、常に清浄に保たれている水、休むのにふさわしい石、生きていくのに問題はなさそうだ。空腹も、蟹を捕まえることを覚え、釣りをすることを覚えたころからは問題ではなくなった。そして次第に環境に順応していった彼は、酒を造り、貝を食べ、鳥を捕まえて食べて生きるようになる。身体に苔が生え始めたのはいつだったか……――
というわけで、密林の池に落ちたことによって、少しずつ変態してゆく男の物語。帯によれば、
「孤独、空腹、絶望。絶体絶命の状況下でなお、生きることに執着する男が恐ろしい」
 ということなのだが、極彩色の密林で、普通だったらありえない状況にもなじんでいる男の、どちらかといえばのほほんとした一人称なので……怖く、ない。むしろ、ほのぼの系(知りあいにこのあらすじを語ったら「コメディですか」といわれたほど)。
 怖くはないけど、文章がけっこううまいので、さらさら読める。
 書き下ろし2篇を収めて、1冊になっている。残り2篇とも、そんなに怖くない。けど、日常生活の淡々とした描き方なんかは、上手。この人、そのうちホラー以外を書いたら、けっこういけるんじゃないだろうか。
 あ、ちなみに第16回日本ホラー小説大賞をとったときのタイトルは「ヤゴ」だったそうだ。



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