それは、絶対に完璧だと信じていた数式が、予期せぬ未知数によって徐々に乱れていく時の感覚に似ていた。
         
     「容疑者Xの献身」東野圭吾  文藝春秋社

 私立高校の数学教師石神は、隣に住む花岡靖子に密かに想いを寄せていた。といっても、実際に石神がしていることは彼女の勤める弁当屋で毎朝弁当を買うことくらいのものだった。だがそんなある日、花岡靖子と娘の美里は、執拗につきまとう靖子の別れた夫富樫思いがけないなりゆきから殺してしまう。自首すべきだとわかっていても動きのとれない靖子たち母子に声をかけてきたのが石神だった。
「私の論理的思考に任せてください」
 石神の構築した完璧な論理的展開に身を任せ、着実に安全圏へとのがれていく靖子と美里。だが一方で、警視庁捜査一課草薙とその友人でガリレオの異名を持つ湯川が、石神の身辺に迫っていた。そして石神にとって大学時代の数少ない友人の一人であった湯川は、彼の論理思考に寄り添うことで、石神の哀しく大きな犠牲に気づいてしまう。
 ささやかな齟齬に気づきながらも、まさか、という思いが真実を見極める目をくもらせる。石神にとっての予期せぬ未知数であった湯川が解き明かす真実の重さ。タイトル通りの「献身」には驚愕せざるを得ない。ネタばれになりそうだが、最初のうちあまりにストーカー的な石神の行動に不審を抱いていたにもかかわらず、最後は感動してしまった……ということで、同じような行動に見えても、ストーカーではない、というところが重要なのだ。
 頭のいい犯人と頭のいい探偵との一騎打ちとも読めるこの作品は、人間的魅力という点では犯人に軍配が上がるのかもしれない。誰かをここまで愛することができるだろうか。そのように考えると、石神に勝てるものなどほとんどいないだろう。



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