(生き物と生き物は、こういうふうにも在れる)
 決して越えることのかなわぬ溝が、互いのあいだに横たわっていても、なお、こういう風に触れ合える。
           
 「獣の奏者V、W」 上橋菜穂子  講談社

 決して人に馴れず、馴らしてはいけない獣を操る技を見出してしまったエリン。<降臨の野>での奇跡から十一年。夫イアル、息子ジェシとともにひっそりと暮らしていたエリンだが、ある闘蛇村で<牙>の大量死が起こったことから、大公に命じられ、その死の真相を探ることになる。エリンの母の死とも関連する、<牙>の大量死。その背後に隠されているのは、やはり神々の山脈の向こうの<災い>を二度と起こさぬようにと真王が定めた規範なのか。そしてまた一方で、エリンが規範とは違うやり方で育てている王獣たちも、リラン以外はいつまでも成熟せず、子どものままで保護場にいるという問題もあった。彼らがいつまでも成熟しない原因はどこにあるのだろう。<災い>を起こさぬようにと、人によってその生を歪められている闘蛇、王獣。人が獣の生を操ることなど、あってよいことなのか。人は王獣や闘蛇の真の姿を知ることをできるのだろうか。最古の闘蛇村で、エリンはかつて聞いたものとは少し異なる歴史を知り、さらに深く王獣と闘蛇、真王と大公とのありかたを考えていく。しかし、エリンがすべてを知るには時間が足りない。敵国ラーザが独自に闘蛇を育て、リョザ神王国に攻めかけようとしていた。真王は、大公は、そしてエリンは、真の平和を見つけることができるのか――
 「獣の奏者」T、Uの続編。まさか続くと思わなかったこの物語の続編が書かれた理由は、作者のあとがきを読んでもらうとしても、確かに物語というのは「雰囲気」で理解してしまうようなことがあるなあ、とは思ったのである。神々の山脈の向こう側で起きたという<災い>。そこからやってきた金の瞳をもつ娘は王獣を操る一族。なのに、どうしてその娘が闘蛇を操る技をも伝えることができたのか……? よくよく考えると不思議なのに、TUを読んでいるときには雰囲気で「わかったようなつもり」になっていた部分が、今回、エリンによって解き明かされていくことになる。王獣や闘蛇を馴らすことがなぜ禁忌なのか。今回の続編によって明かされた真実により、エリンの母の死の理由もわかる。
 迫力のある物語。人と生き物とのあり方や、人としての生き方についても考えさせられる。ファンタジーが苦手な人でも、この作品は読まなければ。ぜひ、多くの人に読んでもらいたい。



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