盲目を彼は贈り物のように受けとった。ついにヴァージルは見なくてもすむようになった。
  
「火星の人類学者」 オリヴァー・サックス(吉田利子訳)早川書房

 副題は「脳神経科医と七人の奇妙な患者」。そういえばバレットの「妊娠した男」も七人の奇妙な患者だったような……きりのいい数字なのか、ちょうどいい枚数になるのか。ともあれ、映画「レナードの朝」などでご存知の人も多いオリヴァー・サックスのノンフィクションである。
 交通事故により世界から色を失ってしまった画家。意識が「過去」「未来」と断ち切られ、「現在」にだけ限定されてしまっている「最後のヒッピー」。自閉症特有の才能を活かして生活する人々(画家、生物学者)。さまざまな人々(患者)に対するサックスの視線はやさしい。医師と患者ではなく、同じ人間同士、相手の置かれた状況を理解したいという気もちが伝わってくるのだ。それはわたしだけの感想ではなく、訳者あとがきによればアメリカでの書評でも本書はその姿勢から、最高傑作といわれたらしい。
 さて、副題のとおりこの本には七人の患者が出てくるのだが、中でもわたしがいちばん気になったのはヴァージル。幼いときから盲目(明暗や光の来る方向は識別できる)だった五十歳ヴァージルが手術によって「見える」ようになる。だが、そんな患者が見る世界はどのようなものなのだろうか。目がひらいた途端に正常に見える……わけでは、ないのである。十七世紀の哲学者ウィリアム・モリヌーのことば。
「生まれながらの盲人が、手で立方体と球体を識別することを学んだとする。そのひとが視力を取り戻したとき、触らずに……どちらが球体でどちらが立方体かを見わけることができるだろうか」
 わたしたち健常者がなにげなく受け取っている「見える」ということ。ヴァージルがついにふたたび闇の世界に戻っていったとき、それを「贈り物」と考えたのも無理ない世界がそこにはあった。ほんの少しなにかが違っただけで、世界は大きく違って見える。覗き見趣味ではなく、同じ人として相手を理解するためにも、ぜひ読んでもらいたい一冊。



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