なんの展望もないまま、わたしは読み続けていた。そうすることに意味を感じていたわけでもないし、いまとなっても、なにか成果があったとも思えない。
               
「時間のかかる読書:横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず」  宮沢章夫   河出書房新社

 横光利一「機械」は、1930年に発表された、50枚ほどの短い小説である。さて、著者はその物語を(どうして「機械」だったのか――は、自分でもよくわからないままに)、とにかく、ぐずぐず時間をかけて読むことにしたのだ。実に11年以上の長きにわたって。
 著者自身が書いている。
「いったいこれはなんだったのだ。
 だが、わたしはこれを、ひとつの冗談として書いていたことはたしかだ」
「ふつうに読めばおよそ1時間で読めるところを、11年以上かけたとしたら、いったいなにが起こっているのか人は不審に思うのではないか。まあ、簡単にまとめてしまうなら、それはきわめて愚かなふるまいである」

 たしかに、愚かすぎる。 
 だが、このエッセイを読み進むにつれて、笑えないと思っていた冗談にのせられている自分に気づく。
ここではあえて「機械」がどのような作品かは述べないが、「機械」がもともとそういう作品なのか、著者のツッコミがあまりにもうまいのか――たしかに、つっこみどころが満載ではある。しかし、そんなことはさておいても、ただ1行、ただひとつのエピソードにこだわり、それをきっかけに想像(妄想?)をふくらませ、ひたすら楽しんで読書している様子が、よい。
 こんな冗談のできる人ってすごいと思うし、こんな冗談で笑えることの幸せも感じる。あまりにもったいなくて、こちらまでぐずぐず読んでしまった。
 最後に、著者の言葉を。
「ぐずぐずしているのだ。停滞しているのだ。そのときはじめて、もっとべつの、読みの悦楽をわたしは感じていた。本書の読者にも同じような悦楽が生まれたらと願っている。読むことの停滞と、ぐずぐずすることの素晴らしさのために」
 オススメ。おそらく、今年度のベスト10を出したら、絶対この本が入ると思う。



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