「たったひとりの女を愛し続けるために、百人の女と寝ることもある」
            
  「ジゴロ」 中山可穂  集英社

 新宿二丁目の路地の一角に、神出鬼没に現れて愛のバラードを歌うストリート・ミュージシャンのカイ。哀愁を帯びたジプシーの旋律。肌に突き刺さるような旋律であり、その歌を耳にすると悲しくなる、という者もいる。「ジゴロ」はそんなカイをめぐる五つの小説が集められている連作短編集である。
 甘えた声でねだるカイに、白和え、ラタトゥイユ、しめじご飯、とホテルに料理を運ぶ「わたし」に、ある日、カイが「もしその望みをかなえてくれる女がいたら、惚れてしまうかもしれない」とまでいって口にしたメニューは、「すき焼き」。炊きたてのごはんとおみそ汁とぬかづけがあればいうまでもない、とまでいわれても、ホテルですき焼き……は、まず不可能。だからといって、夫と息子のいる家につれてくるわけにもいかない。そこで「わたし」の考えついた、すき焼きを食べられる場所とは。『ラタトゥイユ』。
 同級生のダブツ。ダブツがあんたに気があるみたいよ、といわれて意識しはじめてしまった「あたし」。誰よりもよく通るいい声をして、天然朴訥とした、穏やかなダブツ。でも、彼にはあまりにもムードが欠如していて、しかも親しい相手と恋愛状態になるなんて恥ずかしくて難しい。それに、「あたし」にはひとりだけ、王子さまがいるのだ。新宿で偶然巡り会った、ストリート・ミュージシャンのカイである。幼い少女の憧れと、初恋とを見事に昇華させた逸品、『ダブツ』。
 ときにはカイをめぐる人々の視点から語られ、カイ自身の言葉で語られる物語たち。カイには最愛のメグという女性がいるが、彼女を愛するために、カイは次々にいろんな女性たちとの関係をやめない。
 わたしが女遊びをやめないのは、最愛のひとを最愛の状態で愛し続けるためだと言ったら、あまりにも身勝手な詭弁になるだろう。こんなことができるのは、わたしがいいかげんで、不誠実で、歪んだ魂の持ち主だからに他ならない。
 ワーカホリックのメグは残業も土日出勤も多く、カイと言葉を交わす時間もほとんどない。けれど他に関係する女がいればこそ、メグの洗濯をし、マッサージをしてあげて、靴みがきに精を出すこともできるのだ。たとえメグが仕事と偽って裏切っているのだとしても、見て見ぬふりをすることもできる。それはカイのために夫と子どもを捨ててくれたメグに対するカイの愛情のすべてであり、ふたりの生活を続けていくための術でもある。
「たったひとりの女を愛し続けるために、百人の女と寝ることもある」
 身勝手ともいえるこんな台詞を切ない泣ける言葉として残せるのは、中山可穂の見事なところである。中山可穂初心者にはこんなところからはいってもいいかもしれない、というオススメの一作であるが……題が題なだけに、手に取るのはちょっと恥ずかしいかもしれない(とかいいつつ、書店で取り寄せてしまったのはわたしだ……)。しかし表紙の装丁にもセンスが光り、本棚に並べたい一冊である。



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