テレビの世界に生きてきて、人の顔を一瞥すれば、その人間の実態を大?みにできるだけの目は養ってきたつもりだった。しかし、城島という男の実態はどうしてもピンとこない。城島という人間が、あまりに大きな矛盾を内部に抱え込んでいるからだろうか。それとも、自分の目がまだまだ未熟だということか……
     
     「漂泊の牙」 熊谷達也   集英社文庫

 宮城県の西北部で、オオカミを見たという老人がテレビ局のスタッフを呼びつけた。だが、めかしこんだ老人は半ば惚けているようで、半ば期待してきたテレビプロデューサーの丹野恭子は気抜けしてしまう。だが、それからしばらくして、山奥のロッジに暮らす主婦がオオカミのような動物に噛み殺されるという事件が発生した。幼い頃に両親を亡くし、施設で育ったその主婦は、同じく施設育ちの夫と、利発な娘との三人暮らしだった。その幸せを壊したのは、野犬か、それとも絶滅したはずのニホンオオカミなのか? 日本では認められないながらも世界的に活躍しているオオカミ研究家である夫の城島は、妻の死をきっかけに自らの中に押さえつけてきたはずの獣性を解発し、雪の中、かすかな手がかりを元に、謎の獣を追い始める。そんな彼の姿をドキュメンタリーとして撮影しようとする恭子。そして、当初は城島が信じられないながらも、いつしか自らも獣を追い始める刑事の堀越。人間たちのさまざまな思惑、そして次に噛み殺されたやくざと、老人。主婦、やくざ、老人……この三人をつなぐものは本当にないのか? 細い一本の糸がつながったとき、思いがけない絵が浮かび上がる。
 獣と人との壮絶な闘いに、人と人との複雑な思いが絡み合う。上昇志向の強い恭子、刑事としてというよりも負けん気の強さから城島と張り合う刑事の堀越、そしてオオカミを追う城島。このようなきっかけがなければ決して結びつくことのなかった人々が、ときに反発しながらも協力し、真の犯人を追いつめてゆく。
 雪山の追跡シーンも圧巻。新田次郎文学賞受賞作。冒険小説好きもそうでない人も、オススメです。



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